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ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

本棚の10冊で自分を表現してみる

 

いろいろ読んでるブログで『本棚の10冊で自分を表現する』っていうテーマの記事をいくつか見かけたけど、流行ってるの?(わかってない)

このテーマはもともとは、ツイッターハッシュタグからはじまったものみたいだねー。

 

togetter.com

 

わたしもやってみるー。(空気読めてないけど)

(読んだばかりの本の感想書こうとおもってたけど、ぜんぜん書くのがめんどくさくなってたからそれから逃避)

 

わたしが書いてきたものをずっと読んできてくださってる人たちには「またかよ」って以前も取り上げた本ばかりだけど。
さいきんになって読みだしてくれた人もいるので、テキトーに読み流してねー。

 

※アマゾンのリンクはどれもわたしのアフィリエイトではありません。

 

 

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))

 

家にいてこころの家出ができる本。

子どものときにもう、じぶんがあたまがよくないのはなんとなくわかってて。

だから、あたまのいい人、に子どもの頃から憧れてのかも。

理知的な女の子の知的な家出。

家出するなら、こんなふうな家出したい。

「家出」って、逃避のようだけど、親の庇護下から飛び出したい一種の自立だよね。

じぶんだったら、どんな国の部屋のベッドで寝る?

そんなこと、考えるのもたのしい。

 

 

 

きんぎょが にげた (福音館の幼児絵本)

 

この絵本、だいすき。

それだけじゃなくて。

「自分を表現する」っていうのがテーマだから。

この絵本はちいさいとき、わたしがまだしあわせだった頃を蘇らせる。

両親の事情なんてわかってなくて。

お父さんがいて、お母さんがいて、家族がみんないて。

それが当たり前の日々。

リビングのソファに座って、床につかない足をぶらぶらさせて、その絵本を膝の上で開いて。

お母さんがすぐそこにいて。

お父さんが絵本を覗きこんで、金魚がどこにいるかせっついて聞いてきて。

わたしの見る世界にきれいな色があった頃。

絵本は子どもの頃の記憶を混ぜ込んで、オトナになると二度と純粋に絵本の世界に入り込めなくなる。

かなしかったり、胸がいたくなったり、そんな本になる。

 

 

 

アンの愛情―赤毛のアン・シリーズ〈3〉 (新潮文庫)

 

だいすきなアンシリーズでいちばん好きな話。

なにがこんなに好きなのか、っていうと、「下宿」する話だからだとおもう。

アンのさいしょの話でも、ひとりで下宿する時期があって。

「与えられた部屋」で、そこに「用意されてる家具」に「じぶんを馴染ませる」っていう感覚が、ものすごい好きだったとおもうんだよね。

アンの話じたいが、孤児院からグリーンゲイブルズにひきとられて、そこで家具が揃ってる部屋をもらう、っていうのは下宿とおなじ。

 

アンの愛情では、与えられた味気のない部屋がイヤでじぶんたちで「家」をつくってく、っていう、下宿の進化形みたいなかんじで。

これは仲のいい友だちと一緒に住む、っていうのも、すごいたのしそうにおもった。

いまのわたしは恋人との同居だってイヤなのに。

 

でも、考えたら「下宿」に限らない。

わたしは「部屋をととのえていく」場面がものすごい好き。

だから、ローラ・インガルスのシリーズも、 未開の地を開拓していくドラマそのものより、お父さんが手作りで建てた家の中をお母さんがいろいろととのえていく、っていう場面が何度も出てくるから、あんなに惹きつけられたんだとおもう。

 

ローズマリーの赤ちゃん』も、ジョン・レノンが住んでたダコタ・ハウス(映画ではここが使われてた)に主人公夫婦が引っ越してきて。

そこで妻が家の中をいろいろ飾り付けてく描写がある。

クローゼットの棚に布を巻きつけたり。

映画だとそれが映像化されて見れるけど、キッチンとか黄色が基調になっててかわいいよね。

 

 

 

白い家の少女 (1977年)

白い家の少女 (1977年)

 

 

好きだった「先生」が、このヒロインの女の子がわたしに似てる、って言って、去年贈ってくれた本。

 

先生が「わたしと似てる」って言った意味が、いまもまだはっきりとはわかんないんだけど。

13歳の少女リンは、ぜんぜんしあわせな女の子じゃない。
わたしよりぜんぜん知的な子だけど、フツーの家族がいる家庭に育ってない。
その境遇を、「わたしと似てる」って言ったのかなー。

 

リンは人にこころを閉ざしてて、秘密を抱えてて、ウソをついて生きている。

そうやって生きていける、って思ってて。
リンのお父さんも、そうやって生きていけ、って教えてて。

リンのお父さんは、13歳の娘に、「たったひとりで生き抜く」ことを教えて、リンはその通りに生きていた。

 

だけどリンは、マリオっていう少年と知り合って、仲よくなって、それじゃダメなことをだんだんと知っていく。
お父さんが教えてくれなかった「人を愛する」ことが、じぶんが生き抜くのに必要だったことを知っていく。
それが、リンの自立。

お父さんからの巣立ち。

 

「わたしと似てる」っていうのは、こころを閉ざして生きてたから?
親が別居してうちがいろいろタイヘンになってから、わたしは子どもらしい感情は隠して、親に対していろいろ秘密とウソを抱えて生きてきたから?

 

わたしも、じぶんのこころを開く「マリオ」を見つけたから?

 

いろんなこと考えるけど、けっきょくのところ、「先生」に聞かないとわからない。
でも、わたしは聞くつもりはない。
答えを知りたくないのかもしれない。

とくに、「こころを開く」ような真似をして手痛い失敗したいまのわたしは、「愛」というだいじなものに気づいたリンとはもうぜんぜんちがう、とおもう。

リンになりそこねたオトナになっちゃったね。

 

 

 

海風通信―カモガワ開拓日記

 

これからのじぶん。

どんなふうに暮らしたいか、っていう夢が詰まってる本。

 

ピグライフのような生活ね。

車がないと買い物に行けない海が見下ろせる山の中の小屋みたいなちいさい家に住んで。
庭で自給自足。
生きるのに必要なものは、最低限だけ街に買い物に行く。
いろんな草木を、食べたり、それでなにか作ったり。
じぶんで作ったもので家の中を飾ってく。

仕事は家でできること。
この本のように、作家、なんて理想だよねー。

 

家を買える身分になったら、都会のマンションとかはぜんぜん欲しくない。
人がギュッて詰まって暮らしてる郊外の住宅地の分譲住宅とかも欲しくない。

この本みたいな土地で、この本みたいな家建てて、この本みたいにニンゲンよりいろんな生き物がたくさんいる自然の中でひっそり暮らしたい。

 

 

 

同居人求む (ミステリアス・プレス文庫)

 

なんども繰り返し読んじゃうぐらいに好きな小説。

サスペンスとしては、そんなにものすごい怖い、ってわけじゃないけど、じわじわした怖さがある。

 

フリーランスになりたてのプログラマーで精神的にも自立してる都会的な女性がヒロイン。
同棲してた彼の浮気が発覚して別れた主人公が、家賃が払いきれなくて同居人募集の広告を出すの。
いろんな人が応募してきた中で、大人しそうで垢抜けてない若い女性を選んでルームシェアスタート。
だけど、その同居人の女性はどんどん主人公の格好を真似して、どんどん主人公にそっくりになっていく。
っていうストーリー。

 

この小説がすごい好きなのは、このヒロインの精神の自立性とフリーランスで食べていこうとがんばってる生活。
こんなふうに生きれたらなー、ってすごい憧れる。

 

でも、わたしもこの小説みたいに、わたしのいろいろを真似してくる女性のストーカー経験がある。
その人はわたしになりたいのかわかんなかったけど、とにかく、わたしに凄まじい憎悪を抱きながら、でもわたしがやることいろいろを無自覚なのか次々に真似して、その精神性がわたしにはフシギだったし、怖くかんじたりした。

さいしょにストーキングみたいなことされてるのに気づいたのは、あまりに偶然的に後追いでわたしの真似をしてたから。

さいしょはただの偶然だとおもったけど(わたしはろくに知らない人だったし、とくに接点も共通性もなかったし)、あることがあって偶然じゃないことに気づいて、「なんで?」っておもった。

なんでわたしがロックオンされたの?って。

ほんとに年齢も境遇も育ちも見た目も性格も価値観もなにもかもがぜんぜんちがってる人だったから。

 

この小説も、なぜ真似するの?っていう、ナゾな感覚が怖いんだよね。

この小説の場合は、その種明かしはちゃんとあるけど。

 

ついさいきんも、いろんなものを盗作するデザイナーが話題になったけど。

わたしは、あんなふうに「人のもの」を「じぶんのもの」のように取り込んでしまう感覚は、著作権に対する倫理観の欠如とかそんなことじゃなくて、なにか「他人」と「じぶん」の「境界」がない感覚の持ち主なのかなー、っておもってた。

 

もし、身近にどんどんじぶんの真似をする他人がいたら。

その真似のほうがオリジナルで、こっちが真似してる、ってまわりが思い込むようになったら。

(わたしはこの逆転もやられた)

 

意外に、その人とじぶん以外の第三者は「真実」には気づいてくれない。

そうやって、じぶんを盗まれていく。

やめて、と抗議もできない。

単なる偶然とか、気のせいとか、自意識過剰とか、いくらでも言い逃れができることだから。

だからこそ、ものすごいブキミ。

 

 

 

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

これは一生こころに残る小説。

 

ここに描かれている「孤絶」を、わたしも知ってる。
そして、あっちとこっちに別れてしまった人と、同じ月を見てる感覚も。
言葉にはうまくできないそんなわたしの中に在り続けた感覚を、この小説が言語化してくれてた。

 

じぶんに起こったいろんなことは、この小説を読むための感覚をわたしの中に植え付けてくれてた。
生きてることになにか意味があるんだとしたら、この小説を読むため、という意味がじぶんの人生にあったねー。

 

 

 

書くことについて (小学館文庫)

 

実はまだ読んでない本。

「書く」仕事をはじめたから、これをちゃんと読んでおこう、っておもって買った。

 

作家として憧れるのは村上春樹だけど。
あんなふうに好きなものを好きなように書けたらいいよね。

どんなものを書きたい?ってことなら、わたしはスティーヴン・キングみたいなの、書きたいなー、っておもう。

ホラーを書きたい、というより。
キングが描く「ニンゲン」みたいなの。

『シャイニング』みたいな狂気に吸い込まれていく感覚とか。
『ペット・セマタリー』の主人公の妻や、『ミザリー』の囚われの作家の心理描写みたいなのとか。

 

キングのきぶんになるよー、ってことで、これ、読んでみる。

 

 

 

アビィ・リーの日記―わたしは困ったラブ・ファンタジスタ (集英社文庫)

 

まだ読み終えてないけど。

「いまのじぶん」が、こうなりたい(こうありたい)形。

 

たのしくえっちライフ送りたい。

それをこんなふうに書けたらサイコーだよね。

 

 

 

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テーマと関係ないけど。

このブログデザインって、なんでこんなに行間開くのー?

フツーに改行してるだけなのにー。

すきまだらけで読みにくいー。