ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

不条理はいらない

日記みたいなもの。

 

 

◆毎日時間が足りない感覚に追われてる。
時間のつかいかたがヘタなんだとおもう。

さいきん、じぶんの時間、を邪魔するものがあって、それにイライラを募らせてる。

ほかにも、じぶんにずっとノイズのような感覚を与えつづけてるものがあって、それにもイライラする波が襲う。

こういうイライラの消化の仕方がわかんない。
だから、それにとらわれたまま、時間がムダに過ぎてしまうことがある。

 

ただ、いつもおもうのは、他人っていうのはめんどくさい。
他人に関心をいだきすぎる人、が、わたしは苦手。
距離をとれない人のおおくは、たのしいものを共有させるために距離を縮めてくるわけではないね。

距離のとれない人、ムダに人に強い関心をいだきすぎる人、に碌な人はいない。

こんなふうに辛辣にかんがえるのは、イライラしてる証拠。

 

◆人のことをよく解釈しようとするときもある。
このまえのドライブで、じぶんたちが走ってるうしろから救急車がサイレン鳴らして近づいてきた。

わたしも前の車も、道の端に寄って停まった。

そこを通り越していく救急車の真後ろに、いっしょになって飛ばしてるプリウスがあった。

緊急車に便乗して走行する車はときどき見かける。
こういう車は四次元の世界に迷いこんじゃえばいいのに、っていつもおもう。

だけど、その夜は、なんとなくだけど、ちがう解釈した。

 

もしかしたら、あの救急車に乗りきれなかった家族じゃない?って。
こんな夜中だから、救急車もスイスイ走ってく。
どこの病院に連れていかれるのか、場所がよくわかってないから、家族があとから必死で追いかけてるのかも。

 

って、わたしが言ったら、隣に乗ってた人が、「ああ、そういうこともあるか」って納得したように言った。
わたしはその返答を聞いて、たぶん、こころのどこかで得意になったんだとおもう。

「ね?いい解釈すれば、世の中悪人ばかりじゃないのを証明できたよ。わたしにも、そんな解釈はできるぐらいに、そんなに性格わるくないよ」
って。
べつに、そんな具体的におもったわけではないけど。
どこか、じぶんの性格はそんなにわるくない、っていうことを証明したい気持ちがあったのかも。
(それぐらいに、じぶんの性格のわるさに日々腐ってる)

 

「ああいうの見ると、みんな小狡い違反車にしか思えないからね」
って、隣の人が反省したように言ってた。

まあね。

でも、救急車で運ばれる人に家族がいれば、家族にとっては一大事だから、わたしたちが悪態ついてる光景は、だれかにとってはものすごい悲劇だったりするよね。

 

って、おもった。

 

そしたら、走ってる道の途中に見えてきた救急病院のほうに救急車が曲がって。
その真後ろを追いかけてたプリウスは、いっしょには曲がらなかった。
曲がるために減速した救急車にイラっとしたみたいに、右側にセンター超えて膨らんで、スピードをあげて通り越して走り去ってった。


「なんだよ、やっぱ便乗車じゃんか」
って、隣の人がすかさず悪態ついた。

 

さすがに、
「あの車の人、モーレツにお腹壊して、トイレに猛ダッシュしてるのかもよー」
なんて解釈は、してあげる気にならなかった。

 

神さま。
人の善意を信じようとした結果がこれですよ。

 

って、夜空に向かって悪態つきたくなる。

 

性格のいい人になるには、その成果がないと難しい。

そんな成果を求めてるうちは、性格はよくならない、ってことだねー。

 

って、可笑しくなった一場面だった。

 

まわりにあんなニンゲンとしてクズな人を見せつけられて、それでもわたしはそれよりも性格がわるいの?

道交法を守っても、あんないい車を自力で買うこともできないぐらいに、ダメ人間で、人から愛されることもない。

 

って、いちいち人生の不条理に嘆く文学的なキャラクターを演じそうになったから、いつもの「おバカ」モードにじぶんを戻した。

人生の不条理を意識すると、ウツが悪化する。

 

そんな意識とは無縁でいるおバカのほうが、たぶん、少しはマシな状態でいれる気がする。

 

ブクログに登録したけど、マンガ読んだ。
マンガの「1冊」って、内容が価格に見合わないかんじがするものがわりとある。(わたし的に)

まだストーリーが完結してない、っていうせいもあるかもしれないけど。
でも、620円出すなら、小説の文庫買ったほうが満足感がある。

作家さんも、こんなびんぼー臭い感覚で読まれたくないよねー。

ごめんなさい。

 

◆同い年の友だちがこんどケッコンすることになって、ケッコンに向かう過程のいろんな話をリアルタイムで聞いてる。
相手の親とはじめて会う話とか、親戚に紹介される話とか。

 

友だちは、その彼の家のことをなんにも知らないで、その人のことだけを好きになってつきあいだした。
その彼の仕事は、べつに一流企業勤めじゃないし、たぶんお給料はおなじ世代の男性にしては多くはないかんじ。
だから、友だちはとうぜんのようにじぶんも働いて、「ふたりのお金を合わせてひとつの家庭を築く」つもりでいて、「いっしょに生きてく」って感覚をしあわせにかんじてるみたいだった。

 

そしたら、相手の実家を知ったら、ものすっごいお金持ちだったんだって。
お金がある、っていうだけじゃなくて、その地元の名家、っていうかんじ。
「ぎゃー、玉の輿じゃんー」
って、ほかの友だちは騒いでたけど、わたしもほんとに「玉の輿」ってこーいうかんじなんだねー、っておもった。

わたしたちと身分が変わるよー、って、わたしたちは大騒ぎ(^o^)

 

相手のお母さんにものすっごい気に入られちゃって、お母さんの趣味が海外旅行らしくて、ぜんぶお金出してくれるから旅行につきあって、って言われて、慌ててパスポート取りにいってた。

「パスポートってどこでどうやってもらえるの?」
って、わたしたちに言われても、だれもわかんないからねー。
「もらったら見せて―」
って、わたしたちもワクワク。

ケッコン、って、生活というより、人生そのものが変わるねー。

 

しあわせになる変化、って、それを見るまわりも、なんかしあわせな気持ちになるよねー。
友だちがしあわせになるのは、ものすごいたのしいねー。
うれしい、っていうより、たのしい。
「○○(友だち)がマダムになるー」
って、みんなで騒いで、いまからマダム○○って呼び出してる(^o^)