ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

「書くことについて」っていうのを書いてみたことについて

 

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【原稿の締め切りを守る方法】


●インターネットできない道具で書く。
書きながら庭の畑に毟りにいったり(ピグライフイベント)、街のハプニングをやっつけにいったり(ピグワールドイベント)、っていうことができないので、集中力が途切れることなく書ける。
●屋根のないとこで書く。
雨降りそう。寒い。夜になっちゃう。そんな理由で書けるうちに猛ダッシュで書く勢いがつく。
昼夜逆転が防げて健康的。

 

この理屈で言えば、ホームレスになった方が執筆が捗るねー。
売れなくて家賃が払えなくなっても仕事は続けれるねー。

 

 ★

 

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

 

いま、これを読んでる。
まだ読みだしたばかりのとこだけど。
この表紙のキングの書斎、いいよねー。
こういうごちゃごちゃ感がある部屋って好き。

 

そういう意味では、わたしの「書く部屋」もいろいろごちゃごちゃしてる。
だけど、わたしはスティーヴン・キングにはなれない。

 

才能のちがい。

っていう以前に、まだちょっとしか読んでないけど、さいしょはキングの子ども時代の話からはじまってて、その時点で彼の執筆欲のすごさに驚いたから。

 

6歳のときから書いてて、それを親に見せて評価を受ける、っていうことを身につけてて、10代で投稿をはじめて、ボツでも挫折せずに何作も書いて出版社に送りつづける。

「書くことが好き」で、「人に読まれる(評価される)小説を書きたい」とおもってて、「出版社に拾われたい」っていう野心があって。
小説家になるべくしてなった人、みたいな半生。

 

ミュージシャンでも、生い立ちのインタビューとか聞くと、子どもの頃から親が音楽環境を築いてる家庭で、童謡聞く年齢からジャズやビートルズローリング・ストーンズ聞いてたりして、楽器に触れる機会にも恵まれて。
っていう、子ども時代から音楽まみれ、っていう人もいて。

 

「それに没頭できる環境」があって、「小さい頃からじぶんの意欲を実行」してきた、っていうのは、なんかもう「資質」からしてちがう。

 

わたしに決定的に欠けてるのは、文才よりも、意欲と野心。

書くことは、だれからも強制されてないブログをシュミでやるぐらいに好きだけど、それ以上のものを目指す向上心がぜんぜんない。

ブログでも、いい記事をたくさん書いてアクセス伸ばして人気ブロガーになろう、なんていう野心がカケラもない。

アクセスが2ケタでも落ち込まないし、アクセス解析覗くのもめんどくさいときがある。

 

はてなは無料版(有料版は知らない)のアク解は1つの画面だからワンクリックで見れるけど、アメーバのはいろんな項目をいちいち開いていかなくちゃいけないから、めんどくさくてアク解自体クリックしない日ばっか。

いちども開いたことない項目いろいろあるし。
「書くのが好き」っていう動機でやってるシュミでも、こんなにめんどくさがり。
わたしの「めんどくさい」は病的だよねー。

 

っていうか、いまは働くこと自体、苦痛で苦痛で、宝くじが当たったら一生死ぬまでごろごろしてやるー、っていう野心だけがわたしの唯一の熱い夢。
わたしって、仕事のグチを言わずにいきいき働くこと、なんてムリなんだとおもう。

 

キングみたいにごちゃごちゃしてる「ぱそこん置いてる書く部屋(書斎として独立してない)」で書く仕事をしてるわたしは、その整理整頓できてない部屋があらわしてるようにいろいろあたまも整理整頓できてなくて、この仕事はムリ、っていう感覚が日に日に育ってる。

 

その感覚はそのうち育ちきって、「この仕事ムリ」が巨木のバオバブ化して、わたしの脳みそにムリムリのバオバブが3本、星の王子様の挿絵みたいに生えて、わたしはかんぜんに終わりそう。

 

(※いまここで、ライフのお庭を開いて、デイリークエストの小麦とイベントのアメジストフルスタミナ分、毟りまくってきた)

 

 

 

書くことについて(キングの真似)

 

 

僕のやる仕事はね、誰でもワードの画面をヘンにしちゃったら、それを直してやることなんだ - つまり、ライターはシメキリに焦ってるときにどこを打ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕はどっからか、さっと飛び出して行って、間違えて打ったキーのせいでヘンになった画面を戻してやらなくちゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだよ。ワードの直し役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、需要はあるはずだ。ワードの使い方もわかってない馬鹿なライターがいることも知ってる。

 

(元ネタ『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー

 

おれだよおれ。

なんかときどき、「なんにもしてないのに(ぱそこん初心者の常套句)」、ワードの画面がいきなりすごいヘンになって、戻し方がぜんぜんわかんなくて途方に暮れるんだよねー。

わからないのはおれだけ?

30秒前に時間を戻せる呪文をだれかおしえて。

 

 

だらしないのではない。わからないのだ。
わたしにできる言い訳は、それだけである。
先日のことだった。請求書を締日までに送ることを忘れていた。
はじめてのことじゃない。これで三回目。
まだ五回の請求分しかそことは仕事をしていないのに。 やれやれ。

 

世の中には「シメキリ」が多すぎる。
原稿のシメキリ。これだって、本編の前にプロットを出すシメキリがある。
これをクリアしたら、本クエストのシメキリが配信される。

 

仕事の他に私生活でもシメキリは多々ある。
光熱費なんて各社ちがうシメキリだ。
なぜ光熱費の支払い期限をバラバラに設定するんだろう。
支払う人のあたまはひとつしかないのに。

 

シメキリってやつは、うっかりするとすぐに過ぎてる。
直前まで覚えていたはずなのに、ほんの少しうっかりしただけで、気づいたらシメキリが過ぎ去っていた、なんて経験はだれでもあるはずだ。(と信じたい)

 

だがフシギなのは、うっかりしたら給料日が過ぎていた、という現象は起こらない。
給料日や原稿料の振込み日はなかなか来ないものだ。
いつのまにか過ぎてるシメキリとちがって、待ちくたびれるまで訪れてくれない。
これが反対だったら人類はどれだけ幸福に満ちただろう。

 

いつのまにか給料日が来てる。
うっかりしてたら、また来てた。
いちいち覚えていれないぐらい、給料日はひっきりなしに来て、あっという間にまた次がくる。
一方で、シメキリはなかなか訪れない。
いつまでも電気代を払わなくていいし、のんびりと原稿が書ける。

 

こんなふうに逆転してくれれば、わたしが請求書を出すまえにギャラの振込み日が来て、その月の生活費がない!なんてわたしが慌てなくて済む素晴らしい世の中になるのに。
やれやれ。

 

わたしが悪いのではない。
のんびりとやってこないシメキリが悪いのだ。

 

朝起きたとき、「きょうはシメキリがある」という気配がわたしのあたまではわからない。
平凡なニンゲンのわたしは、勘の働きも凡庸である。


シメキリロボットがほしい。

ベッドの横に立たせておいて、朝起きるたびに、その日のシメキリを喋りはじめてくれるの。


っていうか、原稿送ったら、担当さんの確認後、OKボタン押したら自動的にギャラがキャッシュバックされてくる、っていうシステムでいいよね。(いいね!)
ケータイでできるんだから、原稿でもできるはず。

 

 

フリーランスライターは水商売に似てる。
さいきんのわたしの持論である。

 

「書く」ことより「人と会う」のがメイン業務。
そうじゃないと、仕事は増えないし広がらない。
そう同業の先輩たちにおしえていただいたけど、「人脈を開拓していく」気力や「人のこころを繋ぎとめておく」能力がわたしには絶望的にない。

 

だれかと知り合う。メールのやりとり(わたしはLINEやってない)がはじまる。
こういうふうに、人と知り合って連絡とりあうようになるんだけど、メル友増やしていくクエストやらされてるみたい。

 

毎日いろいろ仕事と直接関係ないメールが来る。
たいていは社会的に相手が上の立場にいるから、お返事しないと失礼になる。
失礼なことすると、仕事に影響が出る可能性がある。
なるべく早く返信を送る。
早く送るとすぐにレスが来る。
レスが来るのが早い人は、だいたいこっちのレスも早く欲しがる人。
一日あくと、機嫌を損ねる人もいる。
レスが出来なかった言い訳が必要になる。
創作原稿のプロット考えるより、「きのう中にメールできなかった」言い訳考えるほうが多くなる。
言い訳ライターでお金がもらえたら、わたしも脱びんぼーライフにレベルアップできるのにねー。(←ピグがクルッとまわってるイメージ)

 

 

ナゼカワカラナイケドシゴトデアウチュウコウネンノダンセイタチカラセックスニサソワレルコトガオオスギテイヤニナリマス。
ワタシモエッチハスキダカラエッチシタイキブンノトキハダレカニサソワレルキタイヲスルコトモアリマスガ、シゴトカンケイノヒトトハエッチハシナイトキメテマス。
エッチノキレメガシゴトノキレメニナルデショ。
セクハラニハラタツノハ、セイテキナハナシニケンオガアルワケデハナクテ、ソレヲイチイチオコトワリシナケレバナラナイメンドウニウンザリスルノデス。
コッチハシゴトノタメニジンミャクヒロゲテルダケデセフレサガシヲシテルワケデハアリマセン。
アッタヒトニスグ「シゴトクダサイ」ナンテイエナイノニ、「スミマセン。エッチハシマセン」ッテイウコトヲイワサレルカンケイニムカツクノデス。
コトワレバキゲンヲワルクスルヒトモイルシ、シゴトヲキラレタケイケンモアリマス。
ワタシガナニカシマシタカ? 

 

 

わたしの脳みそに「この仕事ムリムリ」のバオバブの木の根がにょきにょき伸びてきています。

それをひっこ抜く星の王子様がわたしのまえにはあらわれてくれません。

 

 

キングみたいに書いてみようとおもったけど、その試みは成功していない。

 

わたしはいかに「フリーランス」という形態がじぶんの頭脳には合わない働き方なのかわかってきた。
この世界は才能で仕事をとれるタイプと、人脈で仕事をとるタイプ、の2種類ある。

 

わたしはそのどちらでもない。

 

仕事が勝手に舞い込んでくるほど才能はない。
かといって、どこにでも出かけていって人間関係を広げ、じぶんに「チャンス」を増やしていく外交的社交的な資質もない。

 

 

いちばんの問題点は、どんな苦労をしてでも「書きたいもの」がないこと。
このテーマを追求したい、とか、これを書かなければいけない、とか、こんな世界を描いてみせたい、とか。


「家にいてお金がもらえる仕事」

ここに惹かれただけではじめたから、「家にいるだけじゃ仕事はもらえない」「いろんな人とかかわらないと仕事にならない」現実がわかってくると、ぜんぜんじぶんに向いてない仕事をなんではじめちゃったんだろう、と('_')←こんな顔になって途方に暮れる。

 

じぶんの部屋もすっきり整理できない、家計の管理もまともにできない。
怠惰な性格と脳みその不具合のダブル効果で、フツーの日常すらまともに営めないわたしには、「仕事をする」ことすべての業務をひとりでやりこなさなければならないフリーランスという形態は、じぶんの能力を遥かに超えてる。

 

大物になればちがうんだろうけど、わたしレベルの駆け出しは「好きなもの」は書けない。
ほとんどが注文されるとおりのものを書く。
創作シナリオでも「このテーマで」とか指定やあるていどの設定は決められたりする。
企画を出してみて、とか、なんか好きなように一本(単行本一冊分)書いてみて、とか、そういうチャンスもいただけるけど(採用は保証されてない)、そのときに「わたしはなにを書きたいのか」と自問してしまった。

 

わたしが書きたい小説やシナリオは、まず商業ベースはムリ。
創作モノではない原稿は仕事だから書いてるだけで、じぶんがやりたい路線ではない。

そもそも「ライター」になれる資質がないから、ライターを専業でやってる先輩たちと話してると、じぶんにとにかく足りないのは「野心」だとわかってくる。

 

それがなければ、仕事をのほほんと続けていけるほど甘い業界じゃない。
っていうのも、わかってきた。

 

わたしには「どこがおもしろいのだろう」とおもうようなものばかり書いてる「モノカキ」の人がいる。
わたしならお金出してまで読みたいとはぜんぜんおもわない人。
だけど、その人はわりと「売れてる」。

知り合いの編集者さんに、なんであの人はそんなに売れてるのか聞いてみたことある。
もっといいものを書く人がいろいろいるのに、なんであんなにいい待遇なのかとフシギになったから。

そしたら、その人はじぶんを売り込む「営業力」がものすごいらしい。
編集者さんが呆れるぐらいのことまでしてきた話を聞かされて、わたしは呆れるより尊敬した。

ぜんぜんイヤミじゃなくて。

 

じぶんの仕事にものすごいホンキなんだなー、って。
とにかく「売れないまま」でいたくない「ホンキ」があるから、どんな努力も苦にならないんだろう。

そういう「ホンキ」を見ると、じぶんは何してるんだろう、とおもう。
そんな「ホンキ」がじぶんの中にはどこにもない。
生活費を稼ぎだせるほかの手段がいまはないから、この仕事にしがみついてる。
ほかで稼げたら、それでも書く仕事、つづけるのかな、わたし。

 

だれにも会わないで、書きたくもないメールの返信に悩みもしないで、好きな小説は書きたいとおもうかもしれないけど、その小説はお金にならなくていいから、じぶんで電子出版とかすればいいし。
生活費がほかでちゃんと稼げるならね。
いまの「書く仕事」は、すぐさま、やりたくないものを捨てて、やりたいことだけ「シュミ」化させる。

 

そしたら、このブログとおなじように、読者数も少なくてもなんにも気にならないで、だらだら書いてるだけの人になるとおもう。

 

わたしにとって「書く」ことは「好き」だけど、それ以上のなにかには化けない。
人気や名声がほしいわけでもないし、人を感動させたい欲もない。

そんな結論が出てしまったのである。であるある。
2015年11月6日の時点では。

 

15年後、ノーベル文学賞を取ったときには、このきょうの記事はいいネタになるとおもうので、このまま投稿する。

 

 

 

キングのこの本の文体の真似には華麗に失敗したさー。

(途中でめんどくさくなってた)

 

 

じゃあの。

 

 

 

じぶんの興味がないことはだれかの興味だったりする

さいきん、ネットで目にはいる話題がどれも濃厚すぎて、いろいろ意見を持ちやすいテーマがおおくて、つい目にしたものだけに脊髄反射してたら、なんかじぶんで意図しない方向に批判を向けてたみたいで、じぶんが好きだったブロガーさんからツイッターをブロックされちゃってた。

ごめんなさい(;_;)

 

ちゃんと読んで、じっくり考えて、それから意見は述べよ。

っていう反省をした。

 

 

ってことをおもいながら、きょうもいろいろ意見を持ちやすいテーマの話題を目にして、いろいろ考えてた。

 

ブログでお金を稼ぐことがどーとかこーとか、っていう話題。

「どーとかこーとか」ぐらいしかわかってないから、特別だれかの記事になにか意見を持った、っていうわけではなくて。

 

わたしのくせで、ひとつの話題を見ると、そこからじぶんの中で似たようなトピックの記憶をごそごそ漁って、そっちについていろいろ考えちゃうことがおおい。

きょう見かけた、ブログとお金稼ぎの話題も、はてなでそういうブログ増えたのかなー、ぐらいはかんじてたけど。

もともと、わたしははてなではじぶんが好きなブログしか見てないから、じぶんと価値観ちがうブログはあんまり見てなかった。

 

ふだん読んでたとこでも、ちょっとじぶんの中に強い反感をいだくような感覚をいだくようになると、読むのやめちゃう。

だから、ときどき話題とかになったものを見て、「ふーん、こんなことになってたのかー」って、さいきんの流れ、みたいなのをはじめて知ったりして、そこではじめて意見を持つ、っていうかんじ。

 

そこで持った意見をすぐツイートしちゃうのがいけないんだよねー。

 

きょう見かけた話題も、それでじぶんの経験とかいろいろ記憶がひきずりだされて、その体験からじぶんの考えが生まれて、それをツイッターの連投なんかじゃなくブログに書いてみる。
(特定のブログへの言及の意はまったくありません)

 

 

はてなのいいとこは、ものすっごい価値観が合わないブログがあっても、そのブログがじぶんのブログにはなんの影響もないこと。

じぶんが能動的にそういうブログを見ない限りは、ノータッチでいれる。

 

はてなのスターってスパム的につけられたことがないから、わたしの経験では、はてなでスパムに困ったことってないんだよね。

 

はてなブックマークでいつもイヤなコメントばかりつける人、みたいなのはいるかもしれないけど。
だけど、そういう人に粘着されたら、その人だけ非表示にしちゃえば目にすることは避けれる。
ブックマーク自体を非表示にもできるし。

 

かかわりたくないユーザーからidコールされたことはあるけど(まえのブログね)、コールが来ても見に行かなかった。
呼ばれても行かない、っていう選択肢はこっちにある。

 

こっちは好きなようにブログ活動を続けながら、見たくないものを見ない、という選択肢もとれるのが、はてなの優れたとこだとおもってる。

 

そーいうとこが「はてなのいいとこ」って気づけたのも、他社のブログサービスを利用してみたから。

 

まえにも書いたけど、アメーバはスパムがすごくて。
アメーバのサービスはいろいろ好きなのに、このスパムのひどさにはほんと、イライラさせられて、アメーバそのものを退会したいきぶんになっちゃうこともある。

 

それでいちどは日記を撤退させた。
あれだけ文句を言いながら、また日記をアメーバに戻したのは、あそこはあそこでわたしはピグを介してほかのユーザーさんとの繋がりが出来てきたから。

アメーバのいいとこは、ほかのユーザーさんといろんな機能で繋がりやすくできてるとこだとおもってる。

とくにピグのゲームは、ほかのユーザーさんと繋がることでいろいろメリットがある仕様になってる。
だから、あそこでひとりきりで閉じこもってやるより、「知らないピグ」とかかわるほうがじぶんもやりやすい、って自然に感じさせるようになってて、ピグはそこがものすごい優れてるとおもうの。

 

知らないピグとさいしょは、じぶんのゲームのメリット優先の都合で繋がったとしても。
なんとなく毎日行き来するピグのアイコンを見慣れてくると、少し興味が深まって、相手のピグ日記やブログも見に行ったりする。

ブログは登録ジャンルごとにランキングになってて、そこを見ると人のブログもじぶんの興味があるテーマごとに探しやすい。

 

はてなも、もっとテーマごとに人のブログを探しやすくなってればいいよねー、とはおもう。
新着も全体じゃなくて、登録ジャンル別になってるといいよね。

 

アメーバはそんなふうに、人のブログをものすごい探しやすくなってる。
その利点をスパムが悪用するんだよね。

ランキングでちょっとでも上位に行くと、その途端にものすっごい量のスパムが「いいね」ボタンを押したり、読者登録してくる。
読者登録スパムは、だいたいのブログにはブログのサイドバーに読者になったブログの一覧が表示されるから、そこに載せるのが目的なんだとおもう。

 

もちろん、スパムはいろいろ拒否できる機能もついてる。
だから、スパムもどんどん巧みになってく。

これもまえに書いたけど、個人の日記に見せかけて実は商材ブログだった、みたいなスパムブログが多いのもアメーバの特徴。

はてなでもこんなブログあるのかな。
あったらすぐ問題にされて、すぐにだれも騙されなくなりそうだよね。

 

わたしは、こういうスパムブログで騙された経験があるのに、また騙されたもんねー。
だって、ぜんぜんどこにも商材紹介へのリンクがないから、ほんとにただの日記だと思って読んでた。


だけどなんか、「じぶんの困った話」が、なにかによって解決した、みたいなオチの記事が出てきて。

それでもリンクはないから、ほんとにその人がそれで助かった日記かなー、って、まだ読んでた。

 

でもー。
何日もずっとずっと「日記」のふりしてたそのブログは、とーとーある日、正体を晒したのさー。

 

騙された期間が長くなると、それだけ「時間を返せー」って怒りが強く湧くねー。

 

はてなでもアフィリエイトとかブログからの売り上げで稼ぎたい表明をしてるブログも見かけるようになった。
でも、さいしょから、「このブログでお金稼ぐつもりです」って書いてあるだけ、すごい誠実だとおもう。
それが気にならなければ、そのブログの読者でいればいいし、「ふーん」ってしらけた気分になれば、読まなければいいだけのこと。

 

ブログで文章を書きたいだけの人が、ブログでお金儲けすることに反発する意識って、わたしは、純文学作家がエンタメ作家を批判してるみたいだなー、って見てた。

 

金のために君は書くのか。
そんなもんの為に作家の魂を売るのか。

 

って、万年筆を振り回して、商業主義に汚された文学、を嘆いてる和服の文豪のイメージ。

路線がちがう、だけなのにねー。

 

ブログはただのツールだからね。
って、わたしはおもってて。

 

ノートになにを書くのかは、そのノートの持ち主の自由。
ブログも、ネットに公開されてる自由帳、みたいなものだとおもってるから、その自由帳をどうつかうかは、ユーザーの自由なんだとおもってる。
その自由帳を提供してる会社の規約さえ守っていれば。

 

じぶんと価値観が合わなすぎるブログは、ネット中たーくさん(ピグ的な言い方)ある。
でも、そういうものに「じぶんは合わない」って表明することや、異論を述べることは自由だとおもうけど、じぶんと価値観合わないものをじぶんの価値観に合わせろ(それはやめろという要求も)、っていうのは「干渉」だからねー。

人の「自由」をじぶんの価値観で干渉するのは、じぶんの価値観の押し付けにしかならない。

人の価値観をじぶんの価値観で上書きするような流れは、けっきょくはじぶんの価値観もだれかの価値観に上書きされるリスクを孕んでいて、ぜんぜんじぶんの得になる話じゃない。

 

アメーバのスパムに壮絶にイライラするのは、こっちのブログに乗り込んできてそこにスパムのIDを置いていくこと。
干渉どころか侵略されるから、イライラするし、「追い出す」ためにいろんな設定がいるし、それでもフツーのユーザーのふりして騙して侵入してくるトロイの木馬みたいなスパムには、ほんとに「消えろー」っておもっちゃう。

 

これを排除しきれなくて、せっかくほかの人たちと繋がれる機能そのものを非表示にしなくちゃいけなくなったり。
アメーバの優れた機能をスパムによってつかえなくされる。

 

そういうスパムで紹介されてる商材は、だいたいが胡散臭いものが多いし。
サラリーマンやめてネットで食べてます、とかいうの。
ブログで初期設定すればあとはなにもしなくても年収○百万、とかいう商材。
そんなすごいのに、なんでいちいちスパム行為しまくってるのー?

そのスパム行為がメインの活動なの?

 

サラリーマンしながらネットの副業で本業より稼いでます、とかいうのも。
だいたいそういうブログ、アイコンが実写なんだよね。
フツーに考えれば、会社にバレるし、そんなに稼いで税金とかどうしてるのー、っておもうし。

専業主婦のわたしがネットで夫より稼いじゃいました、っていうブログもあったけど。
そしたら、夫の扶養からはずれちゃうよね。
ちゃんとはずれてるのー?

 

はてなで問題になってたのは、アクセスや稼ぎをブログで公表する是非、だった。
こういうブログは、スパムとはちがう。 

 

「ブログで稼ぐ」っていう方法を書いてるだけだよね。

 

そこに興味を持つ人は確実にいるとおもうから、そういう人のためには有益な情報になる。

わたし自身はブログでお金を稼ぐことはぜんぜん考えてないけど、アフィリエイトで○万稼いでる、なんて話を読むと、そんなに稼げちゃうもんなんだー、ってびっくりする。

 

じぶんが真似してみようとは思わなくても、「ふーん。どうやってそんなに稼げるのかな」って興味は湧く。
その興味に応えてくれる情報のひとつが、実際にやってる人の「これだけ稼げました。その方法は…」っていう記事だとおもう。

 

せっかくブログやるなら、ここからいくらかでも稼げたらなー、って程度におもう人も、「どーやってやればいいの?」って興味に応えてくれる情報はありがたいだろうし。

 

たーくさんのブログがあるインターネットで、そのブログのすべてが、「テキストで表現すること」だけに意識をもったつかわれ方しなくてもいいわけだから。

いろんな内容のブログがあるから、おもしろいんだし。

 

わたしはフリーランス的な仕事をするようになって、「会社からお給料をもらう」以外の収入について、いろいろ知りたい興味が湧くようになった。
投資はじぶんにはムリ(資金力だけじゃなくて知能的に)だとおもってるけど。

会社勤め以外の生活費の稼ぎ方、っていうのは、じぶんのリアルと等身大の興味がある。

 

それでも、このアカウントの活動からお金を得ようっていう考えはいまもない。
だけど、ブログ活動で何らかの収入を得てる人の話は、ビジネス的に興味があるんだよね。

胡散臭いネット商材とかじゃなくて。

 

ブログでなにも苦労しなくて稼げる人なんていないとおもうから、稼ぐ、っていうのには、かならず何か工夫してるはず。
その「工夫」の発想を知りたい。

 

そういう話は、詳細に書いてくれるとすごいうれしい。
たとえば、はてなでブログをはじめて、それからライターになった人もいる。
その人のブログを見れば、ライターになっていく過程は記事で読めるけど、ほんとはもっとその「裏」の話を知りたいよね。
どんなふうにオファーが来て、どんなふうに仕事をもらえるようになって、どんな苦労があって、どんな努力をして、「人が見るぶぶんの活動」の舞台裏の話にいろいろ興味ある。

 

それが書けない事情の人もいるとおもう。
わたしもそのひとりだろうし。

 

だけど、書いても構わない人がいるなら、その記事にはものすごい興味が湧く。
これだけ稼げました、って公言する人も、それが可能だからしてるわけで、じぶんにデメリットがないのなら、そういう話はもっと読ませて、っておもう。

 

わたしも仕事で電子出版物も執筆してる。
だけど、この仕事してみて、会社からの依頼で書く、っていう窮屈さも感じだしてる。
もっと自由に書きたいなー、っておもうようになって、じぶんで電子出版することもありかも、って考えになってきた。
そういうわたしには、電子書籍を個人が出す方法、なんて記事はものすごいありがたい。
なんにもわかんないから。
いまは原稿を会社に渡せば、それを勝手に電子出版の形態にしてくれるから、その具体的な方法なんてなにもわかんなくて。

 

ある紙媒体に書いた原稿を電子出版化してもらえることになって。
その契約書を見て、ものすごい唖然とした。
執筆した作家の権利はー?っていう内容だったから。


具体的にそういう話が書けたらいいとおもうけど、わたしにはこのアカウントでそれをやる勇気はない。


でもじぶんがそういう経験して、「人の電子出版の話」にはものすごい興味が湧くようになった。

電子化する方法。

宣伝方法。

売上。

 

そこまでは書いてる人いろいろ見かけるけど。
わたしが知りたいのは、その先のこと、もね。
税金はどんなふうに申告してるの?
なにが経費として認められるの?
どんなふうに帳簿つけてるの?
他からも収入がある人の確定申告のやり方も知りたいよねー。

合法的な節税方法とかも。

 

ネットで知って、おもしろいー、っておもったビジネスは。
じぶんをレンタルする、っていうの。
それだと、税金の申告するときはどんな事業として書くのー?
なにが経費になるのー?
支払いは普通に現金でもらって普通にコクヨの領収書渡すだけでいいのー?

そういう話を知りたいよねー。ネットビジネス的には。

 

まえにラジオで、大学生が「思いついて」「海外に行って」「そこである活動(世界で有名な人たちに会う)に成功して」日本で話題になった企業家、みたいな紹介されてた人が出てて。

 

何歳のときに思いついて、いつ海外に渡って、そこでなにをしたか、っていう話にはインタビューで聞いたり答えたりしてるんだけど。

その資金は?
なんで無名の日本の学生が世界のすごい人たちに会ってもらえたの?

っていうわたしの興味の答えはひとつも出てこなかった。

 

そこが知りたいじゃんー。
なんでそんなすごいことが「無名の一般人に出来たの?」っていうとこに、その話のすごいポイントがあるわけじゃんー。

ネットビジネスの話も。
何をしたらどれだけ稼げました、ってぶぶんだけじゃなくて。
経理の帳簿のつけ方、税金の申告、これぐらいの稼ぎの副業は税的に不利か有利か、そんなとこまで知りたい、っておもう。

 

他人のアカウントにスパム行為なんてしなくて、ブログでちゃんと考えながら「読まれる記事」を書いて、広告でこれだけ稼げる、っていうネットのお金稼ぎの方法が広く知られれば、迷惑なスパムビジネスに手を出す人を減らせるかもしれないし。

 

「読まれやすい記事」のテーマはどうやって思いつくの?
具体的に利用した資料とか、記事のアイデアの生み出し方とか。
メモの取り方とか。
そういう「稼げるおもしろい記事」の書き方も、文章術みたいな一般論じゃなくて、その人の体験談ならいろいろおもしろい話が聞けそう。

 

そんな話はするな、と、そのテーマの話題そのものを消滅させないで。
それより、じぶんの知らない世界の話は、舞台裏まで書ける人は書いて、っておもう。

せっかくだれでも利用できるインターネットで、カンタンに情報発信ができる無料ツールがいろいろあって。
それを利用するテーマ性に制限なんてかけないで、もっと自由になんでも書ける空気になっていけば、ネットはもっともっとたのしくなっていくとおもう。

 

じぶんが読みたいものが増えれば、読みたくないものをいちいち消し去ろうとする必要性もかんじなくなるよね。

じぶんが読みたいものを集める。
読み手もそういうじぶんのアンテナ力を磨くことで、じぶんの相容れない価値観との平和的共存は出来るとおもう。

 

 

 

 

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