本を買って貧乏になろう
編集画面がまたつかえるようになってるみたいなので(たぶん)、こっちで書いてみるー。
だいじょうぶそうなら、シーサーでやってた記事もこっちに移して、シーサーはまたはてなが書けなくなったときの避難場所にしようとおもいます。
あちこち移動させてごめんなさいー。
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1月分の生活費が1万円もないっていうのに、予算の半分以上も本を買っちゃった。
だれかわたしをとめてー。(もう遅い)
- 作者: Robert Descharnes,Gilles Neret
- 出版社/メーカー: Taschen America Llc
- 発売日: 2013/05/15
- メディア: ハードカバー
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ゆうべ書いた日記ブログで、「買ったものの値段をあとからほかで見るべからず」を家訓にすることにしたのに。
ブックオフでこのダリ本を3400円で買ったあと、アマゾンで見たらもっと安く買えてたー。
しかもアマゾンのは英語版。
わたしが買ったのはフランス語版で、ぜったい文章が読めるわけないから、ダリの絵を見るだけの画集としてしかつかえない。
でも、漬物石に転用できそうな780ページのものすっごい厚い(重たい)本で、ダリのいろんな絵がその下絵(?)といっしょにたーくさん載ってて、一生飽きない本だよねー、ってものすっごいこころ惹かれた。
洋書だったから、またいつか買えばいいやって「次」にこの本に出会えるチャンスがあるのかわかんなかったし、パッと書名とか版元とか見ただけで覚えれないからネットで探すのもできないとおもったし。
(本屋さんの本はカメラで撮るのはもちろんだけど、本に書かれてることをメモするのもダメかなー、って迷ったの)
値段より英語版があるのわかってたらそっち買えばよかった、っていう後悔はある。
フランス語はぱそこんでどうやって文字がだせるかわかんないから、写し書きして翻訳サイトで意味調べるのもできないしねー。
だけどどうしても読みたい部分があったら、フランス語の辞書ひきながら読む、っていう練習をするのにはいいかも。
これは生活費も足りてないわたしには「とても買えない」値段だからいちど棚から取り出して、諦めて戻して、それから帰ろうとして「やっぱりー」って戻って、でもまた棚のところで悩んで、「えーいっ」って勢いで買ったもの。
だけど、それで正解だったとおもう。
帰ってからページをテキトーにめくってダリの絵をいろいろ見て。
見るだけですっごいおもしろいの。
なんどとなくブログで書いてきてるけど、旅に実際に出なくてもどこにいても旅はできる、っていうコンセプトで、妄想の旅につれてってくれるわたしの大好きなラジオ番組がある。
このダリの本も、展覧会に行かなくてもダリの世界にひきずりこんでくれる。
ナマの絵と印刷の絵は迫力がちがうんだとはおもうけど、展覧会っていうのは、ちゃんと出かける恰好をして、ほかの他人と一緒の場所で立った姿勢で歩きながら見る、ってことしかできないからねー。
お風呂にはいって、ダレダレになったカラダにラクな服着て、ベッドにはいって、なんか飲みながらだらだら見る、ってのが画集の醍醐味。
好きな絵だけいつまでも見たり、ぺらぺらめくって、あとからページをなんども戻ったり。
わたしはそういう「だらだら鑑賞」がいちばんじぶんに合ってる。
だから「ここにいても絵の世界にはいりこめる」画集は、妄想展覧会みたいなもの。
いまのわたしには、いつかは片づけなければいけない実家、っていうのはないけど、なんとなくこの本を買った。(これは定価で)
これもいちどコンビニで見かけて、パラパラ読みして、そのときは少しも買う気にはならなくてすぐに棚に戻したのに、何日か経って急にこの本が気になりだして、買っておこうかな、っておもったの。
実際にこれから役に立つだろう、っていう意味での購入欲ではなくて。
去年の夏に家族が解散して、わたし以外の家族がみんなで住んでた家から引っ越したあと、いろいろ残されたものをわたしが片づけなくちゃいけなくなった。
あのときのうんざりや怒り、それと親のものをいろいろ見つけるたのしさ。
そういうものを経験したばかりだから、この本に書かれてる実例の体験者のコメントひとつひとつに共感みたいなものが湧いたし、よその家の例に興味が膨らんだ。
「じぶんが育った家」をどう「おしまい」にさせるのか、っていうとこ、ね。
家族の歴史がつまった家。
その終焉は、人生の中でおもたいドラマだよねー、っておもって。
じぶんでいろいろ創作の文章を書くようになって、「人間」とか「人生」とか、そういうテーマでいろいろ読みたくなってる。
じぶんの体験だけではわからない「他人の人生」をいろいろ想像する材料がほしくて。
だから、こういう本も欲しくなった。
暮れから読みだしたこの小説を、わたしにしては早くももう読み終えて、これはブログで感想書くつもりでいるけど。
ものすごい読みやすくて、派手なドラマではない地味なストーリーなのにおもしろかったから、群ようこさんのほかのも読んでみたくなった。
それで、この続編の『働かないの』を買いにいったんだけど(そのときにダリとかいろいろ買っちゃったのです)、そこでペラペラ見たらあたらしい登場人物の話みたいで、なんとなく興味が失せた。
続編がある話は、だいたい新キャラが登場する。
赤毛のアンなんかもそうだけど、それはそれでおもしろいのもある。
でも、わたしはこの『れんげ荘』が気に入ったのは、主人公の女の人自身の人生観だったから、人間模様みたいなぶぶんはこの小説には求めてなくて。
人と人の話、みたいな展開なら続編は読まなくてもいいかなー、っておもって、とりあえず買うのは保留。
それで群ようこさんのちがう話の本を何冊か買った。
『れんげ荘』に、森鴎外の娘の森茉莉の書いた『贅沢貧乏』の話が出てくる。
それも気になったけど、ブックオフにはなかった。
その代わり、これ見つけてこれ買った。
森茉莉さんの『贅沢貧乏』についてのエッセイ。
群さんの本はほかにも森茉莉さんに触れてるものや「びんぼう」の話がいろいろあって、もともとそこにキョーミがある人なんだねー。
じぶんもびんぼうで苦労してる人なのかなー、っておもったら、ぜんぜんびんぼーじゃなかった。
◆拒税新聞
http://www43.tok2.com/home/taxfighter/shinbun/tokubetsu/005/
ほかにもネットでいろいろ見てたら、群ようこさんの稼ぎをお母さんがどんどん浪費しちゃってたらしい。
とられる税金に怒りが湧くほどわたしが稼げるようになれるとはおもえないけど、モノカキって「経費」になるものが少なすぎて収入ほとんどに課税されちゃうよねー、っていうのはかんじてた。
同業の知り合いの人も税務調査受けた話してたし、自宅で仕事してる人は、住居費のどれぐらいの割合を経費で認められるか、それはじぶんの担当になった税務署の署員しだい、みたい。
作家さんの仕事や私生活の様子がわかるエッセイっておもしろいから、エッセイ中心に数冊買った。
着物のエッセイもあったから、それも。
わたしは新年に人の借り物の着物でパーティに出たんだけど、着物っていいなー、っておもったから、ちょっとこれから「和服」にもアンテナのばしたい。
で、『贅沢貧乏のマリア』に話を戻すけど、これを読んでから『贅沢貧乏』を読もうか決める。
森茉莉さんのいろいろをネットで調べてみたけど、わたし自身はそんなにこの方にキョーミ湧かなかったんだよねー。
昔の美しい文体、は読んでみたいけど、天然のお嬢様、っていうキャラクター性に惹かれるものがなくて。
森鴎外にあんまり惹かれないから、かも。
でも食わず嫌いはあまりよくないから、読まないうちに「読みたくない理由」をあまり並べ立てるのはやめとくー。
去年からずっと読んでる本のひとつが、ラノベっぽい文体で。
内容はおもしろいのに、なんかわたしにはどうしても文体が合わない。
なにがじぶんにはダメなんだろう、ってかんがえたけど。
主人公の一人称の文体、はいいけど、その一人称の視点の性的なぶぶんにひっかかるのに気づいた。
もうひとりの主人公みたいな女の人に向けた視点は、意味もなく性的。
その性的な感覚は、リアル、というより、萌え。
ラノベの読者って男性ばかりなのかなー、っておもったけど、どうなのかなー。
かんがえたら、女の人でラノベ好き、ってわたしはいままで周りにいなかったんだよね。
ラノベって、マンガでいうと「少年マンガ」のジャンルなのかな、ってかんがえた。
ラノベをいろいろ読んだわけではないから的外れなこと言ってるかもしれないけど。
ラノベを批判する人は、文体の軽さとか内容の薄さを突いてるのをいろいろ見聞きしたけど、わたしはそういうとこより、地の文に含まれている萌えの性的感覚、がじぶんには合わないんだとおもった。
女性キャラクターの特徴が「髪」とか「おっぱい」なんだよね。
そういうのが好きな人は、こういう文体をたのしめるんだとおもう。
じぶんに合わない理由がちょっとおもしろかった。
わたしがもしラノベを書いてみたら、この萌え視点、はじぶんにはないから、文体をライトにしただけではラノベにはならなかったとおもうもん。
ラノベをもっといろいろ読むと、じぶんには合わなくても、いろいろ「じぶんにはない感覚」の文章は味わえそう。