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ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

いかれたあたまで本を買う

お金がないときにお金がかかることがあると(←病院で予定外の検査代がかかった)、あたまがおかしくなって、ほかの浪費もしちゃう。

あたまがおかしくなった勢いで、新刊のマンガ1冊と芥川賞発表号の文藝春秋買った。

 

進撃の巨人(17) (講談社コミックス)

進撃の巨人(17) (講談社コミックス)

 

 

ここまで買ってきたから惰性で買ったけど、神さま、わたしにこれを読むのをやめる勇気をください。

買ったけどつまんなくて2ページぐらいぺらぺらして投げ出してる。
もう「読みたい」っていうきもちが湧かない。

ラストも気にならなくなったから、買うのやめちゃおうかなー。
でももう少しで終わるんだよね。

バイト先の男子たちはおもしろい、って言ってるから、わたしには合わなかったんだとおもう。
さいしょはおもしろく読めたけど、途中から退屈なきぶんが生まれてきて、それがどんどん膨らんでいく一方のままだった。

実写版のハンジさんの話聞いたら、余計にもうどうでもよくなった。
なんかものすごい裏切られたきぶん。(勝手にハンジさんに思い入れがあっただけ)

 

わたしは小説ほどマンガにのめりこまない。
ものすごい夢中で読んだマンガなんて、ものすごい僅かしかない。
ネットでいろんなマンガの話題を見かけるけど、小説なら未読の作品ないろいろ興味湧くのに、マンガってぜんぜんそういうきぶんの盛り上がりが生まれてこない。

そんなに「マンガ」っていうものを好きじゃないのかもね。

 

絵で描かれる物語だから、なんでも映像化されるじぶんのあたまの中で「イメージ」が重ならないのが苦痛なのかな。
でも、映画とかミュージックビデオは好きだよね。

 

寄生獣』がおもしろすぎて、ミギーに感情移入しすぎて、感想を書くためにもういちど読み返そうとおもったら胸がくるしくて読めないままでいる。
スプートニクの恋人』もブログに書く、って言ったまま、あの作品を思い返そうとするだけでものすごい胸がきゅっとくるしくなるから、忘れたふりしてる。

 

いちいちめんどくさい読み方してるね、わたし。

 

 

 

文藝春秋 2015年 09 月号 [雑誌]

文藝春秋 2015年 09 月号 [雑誌]

 

 

ツイッターでも書いた気がするけど、わたしは芸能人にうとすぎて、ピース又吉さんってぜんぜん知らなかった。

写真見たら「栗原類さん?」っておもったし。

 

だけど、受賞した「火花」はすごいおもしろい、って聞いたから、どんなふうにおもしろいのか興味もって、読んでみる気になった。

どうせなら単行本より選評も読みたいから、雑誌で買った。

 

「おもしろい」っていう評判の小説は、その「おもしろさ」がどういうものか、それが気になる。

じぶんで書く仕事をはじめてから、余計に、他人の作品の構造に興味がつよまった。

 

書き出し。ラスト。構成。表現。

ストーリー性より、そんなもの、いろいろ。

 

 

読みかけの小説がいろいろある。

ラジオで聞いて、ものすっごい才能溢れたおもしろさがあるらしい小説を、すぐに買って読んでみたけど、その「おもしろさ」がわたしにはなかなかわからないまま。

文体が合わないんだとおもう。

 

春樹おじさんみたいに、文体に惹きこまれていくような陶酔感を、どの小説でも味わえるわけじゃない。

どの小説でもそうなら、その感覚に慣れて陶酔でもなくなっちゃうとおもうけど。

 

恋をするような小説との出逢いは、狙えるもんじゃないよね。
偶然。
偶然、それと出逢って、読んで、その小説に恋する。

実際の恋愛より、わたしは小説との恋のチャンスがもっとほしいな。