ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

言いたいことはあなたの目の前の椅子で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしのいろいろあった過去を知った人から、それでもわたしがひねくれないこころを持ってることを褒められたことがある。


勿論、その人はほんとにそう思ってくれたのだと思うし、そういうものを乗り越えたわたしを認めてくれたんだと思うけど。


でも、実際にじぶんがそんな時にそんなふうに褒められる経験をしてみたら、そんな言葉が少しもうれしくないことを知った。
これを知らないままだったら、わたしももしかしたら、ものすごいつらい体験をしたあとに凛として生きてる人に、なにか大事なものを失わなかったことを讃える言葉なんて投げかけてたかもしれない。


だけど、わたしは知った。
乗り越えた人に、乗り越えた事実を褒めてもなんの意味もないのだと。


その人の「いま」をリスペクトするなら、過去に触れず、「いま」にリスペクトを捧げればいい。
過去はその人のもので、第三者がそこに触れてじぶんの納得のいく味の料理に仕立てるためにこねくりまわす食材ではない。


いちばんつらい時にいなかった人と、いつか未来に出会う。
その未来で出会った人に、じぶんのいちばんつらい過去からいまのじぶんを救いだしてもらう必要はない。


もう、じぶんで抜け出したのだから。
その過去話を聞いた人は、その過去には何もしてないのだから。


だから、人の過去話を聞いたら、その過去はそのままにしておく。
そして、いま、その人を好きなら、いまのあなたが好きだと言う。
過去から抜けだしたあなたが、でなくて。
いまのこの一瞬のあなたが、好き。


あなたの過去がいまのあなたをつくってることはわかってる。
でもあなたの過去は、わたしは知らなかったのだから、それを「知る」だけで充分で、知ったからってなんらかの評価をくだす資格などない。


そんなふうに、わたしは人に「好き」という気持ちを伝えていきたいと思う。

 

 

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