言いたいことはあなたの目の前の椅子で
Youtubeでうっかり前向きな歌聞いちゃった。
あきらめないで
あきらめなければいつかはかなうから
…的な詩を聞くと「けっ」となる。
(おもいきりディズニーdisってる気がするけど夢と魔法の国のプリンセスの話じゃなくてリアルな不遇の庶民の話どすえ)
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
諦めて挫折する生き方も認めて、っておもう。
夜が明けることを信じれなくて、すさんだこころをひたすら荒らす時期を、そっとしてて、っておもう。
いつか、とか、そのうち、とか、きっと、とか。
苦しくてこわれた人に「変わること」を望まないで。
それはあなたの理想。
わたしの理想ではない。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
苦労をしても立ち上がれた人が、それができない人におなじステージに招かないで。
くるしい人生を送る人が少しもただしく生きれないままの姿も、そういうひとつの現実もあるのだと黙ってそっとしてて。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
立ち上がれてない人に話したいときは、上から屈まないで。
おなじ床の椅子に座ってゆっくり話を聞いて。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
逆境を生き抜いて理性を維持して生きれるようになった人を褒めないで。
頭をあげて凛と出来るまでに、すさまじい苦しみがあるのだから。
乗り越えたあとの姿なんて認められてもうれしくない。
くるしくて醜い時のじぶんを否定されてるのとおなじだから。
なにも言わないで黙って接して。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
オトナになる、って、諦めを増やしていくことなんだねー。
こころを鈍らせて、感情をあきらめて、刺青みたいな痛みを越えて、静かなオトナ性をじぶんに刻む。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
わたしはけっきょく、だれかにとっては見世物。
それを見る人の満足のために、わたしは演じることを求められ、それがヘタだから罵られる。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
わたしとおなじ床の椅子にすわればよかったのに。
わたしはゆっくり、わたしの言葉で話をした。
それを聞きたがらなかった人が、わたしの言葉の意味をきめて、わたしの辞書をつくってしまう。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
わたしを一回見るのに100円ですよ。
その100円は、わたしを見る人の好きなところに寄付してください。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
じぶんが殺されることに過敏な人でも、人を殺すことには鈍感でいれる。
それがニンゲン。
だから、我欲をじぶんで認めませう。
だれかのため、とかきれいごと言わないで、じぶんの満足を得るために、じぶんの不満足を踏みにじる、と。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
わたしが座る椅子とおなじフロアにあるわたしの目の前の椅子はいつでもあいてます。
ここがうまったことなんて、わたしが生きてていちどもないです。
永遠の空席。
お好きなときに座りにきてくださいませませ。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
おバカな小娘がなんかだらだら言ってるけど、背中のおっさんは寝るで。
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
【今夜の童話】
いま寝て、それから起きると、ものすごい素晴らしいことが起こってるんだよ。
あのね。
くすくす笑っちゃう。
あのね。
起きたらね。
わたしのね。
枕元に来るの。
枕元にね、お給料日が来るの。
☆彡そうしてみかみかはしあわせになりましたとさ。☆彡
— ('_') (@luvluv_tw) May 24, 2015
わたしのいろいろあった過去を知った人から、それでもわたしがひねくれないこころを持ってることを褒められたことがある。
勿論、その人はほんとにそう思ってくれたのだと思うし、そういうものを乗り越えたわたしを認めてくれたんだと思うけど。
でも、実際にじぶんがそんな時にそんなふうに褒められる経験をしてみたら、そんな言葉が少しもうれしくないことを知った。
これを知らないままだったら、わたしももしかしたら、ものすごいつらい体験をしたあとに凛として生きてる人に、なにか大事なものを失わなかったことを讃える言葉なんて投げかけてたかもしれない。
だけど、わたしは知った。
乗り越えた人に、乗り越えた事実を褒めてもなんの意味もないのだと。
その人の「いま」をリスペクトするなら、過去に触れず、「いま」にリスペクトを捧げればいい。
過去はその人のもので、第三者がそこに触れてじぶんの納得のいく味の料理に仕立てるためにこねくりまわす食材ではない。
いちばんつらい時にいなかった人と、いつか未来に出会う。
その未来で出会った人に、じぶんのいちばんつらい過去からいまのじぶんを救いだしてもらう必要はない。
もう、じぶんで抜け出したのだから。
その過去話を聞いた人は、その過去には何もしてないのだから。
だから、人の過去話を聞いたら、その過去はそのままにしておく。
そして、いま、その人を好きなら、いまのあなたが好きだと言う。
過去から抜けだしたあなたが、でなくて。
いまのこの一瞬のあなたが、好き。
あなたの過去がいまのあなたをつくってることはわかってる。
でもあなたの過去は、わたしは知らなかったのだから、それを「知る」だけで充分で、知ったからってなんらかの評価をくだす資格などない。
そんなふうに、わたしは人に「好き」という気持ちを伝えていきたいと思う。