「書くことについて」っていうのを書いてみたことについて
【原稿の締め切りを守る方法】
●インターネットできない道具で書く。
書きながら庭の畑に毟りにいったり(ピグライフイベント)、街のハプニングをやっつけにいったり(ピグワールドイベント)、っていうことができないので、集中力が途切れることなく書ける。
●屋根のないとこで書く。
雨降りそう。寒い。夜になっちゃう。そんな理由で書けるうちに猛ダッシュで書く勢いがつく。
昼夜逆転が防げて健康的。
この理屈で言えば、ホームレスになった方が執筆が捗るねー。
売れなくて家賃が払えなくなっても仕事は続けれるねー。
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いま、これを読んでる。
まだ読みだしたばかりのとこだけど。
この表紙のキングの書斎、いいよねー。
こういうごちゃごちゃ感がある部屋って好き。
そういう意味では、わたしの「書く部屋」もいろいろごちゃごちゃしてる。
だけど、わたしはスティーヴン・キングにはなれない。
才能のちがい。
っていう以前に、まだちょっとしか読んでないけど、さいしょはキングの子ども時代の話からはじまってて、その時点で彼の執筆欲のすごさに驚いたから。
6歳のときから書いてて、それを親に見せて評価を受ける、っていうことを身につけてて、10代で投稿をはじめて、ボツでも挫折せずに何作も書いて出版社に送りつづける。
「書くことが好き」で、「人に読まれる(評価される)小説を書きたい」とおもってて、「出版社に拾われたい」っていう野心があって。
小説家になるべくしてなった人、みたいな半生。
ミュージシャンでも、生い立ちのインタビューとか聞くと、子どもの頃から親が音楽環境を築いてる家庭で、童謡聞く年齢からジャズやビートルズやローリング・ストーンズ聞いてたりして、楽器に触れる機会にも恵まれて。
っていう、子ども時代から音楽まみれ、っていう人もいて。
「それに没頭できる環境」があって、「小さい頃からじぶんの意欲を実行」してきた、っていうのは、なんかもう「資質」からしてちがう。
わたしに決定的に欠けてるのは、文才よりも、意欲と野心。
書くことは、だれからも強制されてないブログをシュミでやるぐらいに好きだけど、それ以上のものを目指す向上心がぜんぜんない。
ブログでも、いい記事をたくさん書いてアクセス伸ばして人気ブロガーになろう、なんていう野心がカケラもない。
アクセスが2ケタでも落ち込まないし、アクセス解析覗くのもめんどくさいときがある。
はてなは無料版(有料版は知らない)のアク解は1つの画面だからワンクリックで見れるけど、アメーバのはいろんな項目をいちいち開いていかなくちゃいけないから、めんどくさくてアク解自体クリックしない日ばっか。
いちども開いたことない項目いろいろあるし。
「書くのが好き」っていう動機でやってるシュミでも、こんなにめんどくさがり。
わたしの「めんどくさい」は病的だよねー。
っていうか、いまは働くこと自体、苦痛で苦痛で、宝くじが当たったら一生死ぬまでごろごろしてやるー、っていう野心だけがわたしの唯一の熱い夢。
わたしって、仕事のグチを言わずにいきいき働くこと、なんてムリなんだとおもう。
キングみたいにごちゃごちゃしてる「ぱそこん置いてる書く部屋(書斎として独立してない)」で書く仕事をしてるわたしは、その整理整頓できてない部屋があらわしてるようにいろいろあたまも整理整頓できてなくて、この仕事はムリ、っていう感覚が日に日に育ってる。
その感覚はそのうち育ちきって、「この仕事ムリ」が巨木のバオバブ化して、わたしの脳みそにムリムリのバオバブが3本、星の王子様の挿絵みたいに生えて、わたしはかんぜんに終わりそう。
(※いまここで、ライフのお庭を開いて、デイリークエストの小麦とイベントのアメジストをフルスタミナ分、毟りまくってきた)
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書くことについて(キングの真似)
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僕のやる仕事はね、誰でもワードの画面をヘンにしちゃったら、それを直してやることなんだ - つまり、ライターはシメキリに焦ってるときにどこを打ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕はどっからか、さっと飛び出して行って、間違えて打ったキーのせいでヘンになった画面を戻してやらなくちゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだよ。ワードの直し役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、需要はあるはずだ。ワードの使い方もわかってない馬鹿なライターがいることも知ってる。
(元ネタ『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー)
おれだよおれ。
なんかときどき、「なんにもしてないのに(ぱそこん初心者の常套句)」、ワードの画面がいきなりすごいヘンになって、戻し方がぜんぜんわかんなくて途方に暮れるんだよねー。
わからないのはおれだけ?
30秒前に時間を戻せる呪文をだれかおしえて。
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だらしないのではない。わからないのだ。
わたしにできる言い訳は、それだけである。
先日のことだった。請求書を締日までに送ることを忘れていた。
はじめてのことじゃない。これで三回目。
まだ五回の請求分しかそことは仕事をしていないのに。 やれやれ。
世の中には「シメキリ」が多すぎる。
原稿のシメキリ。これだって、本編の前にプロットを出すシメキリがある。
これをクリアしたら、本クエストのシメキリが配信される。
仕事の他に私生活でもシメキリは多々ある。
光熱費なんて各社ちがうシメキリだ。
なぜ光熱費の支払い期限をバラバラに設定するんだろう。
支払う人のあたまはひとつしかないのに。
シメキリってやつは、うっかりするとすぐに過ぎてる。
直前まで覚えていたはずなのに、ほんの少しうっかりしただけで、気づいたらシメキリが過ぎ去っていた、なんて経験はだれでもあるはずだ。(と信じたい)
だがフシギなのは、うっかりしたら給料日が過ぎていた、という現象は起こらない。
給料日や原稿料の振込み日はなかなか来ないものだ。
いつのまにか過ぎてるシメキリとちがって、待ちくたびれるまで訪れてくれない。
これが反対だったら人類はどれだけ幸福に満ちただろう。
いつのまにか給料日が来てる。
うっかりしてたら、また来てた。
いちいち覚えていれないぐらい、給料日はひっきりなしに来て、あっという間にまた次がくる。
一方で、シメキリはなかなか訪れない。
いつまでも電気代を払わなくていいし、のんびりと原稿が書ける。
こんなふうに逆転してくれれば、わたしが請求書を出すまえにギャラの振込み日が来て、その月の生活費がない!なんてわたしが慌てなくて済む素晴らしい世の中になるのに。
やれやれ。
わたしが悪いのではない。
のんびりとやってこないシメキリが悪いのだ。
朝起きたとき、「きょうはシメキリがある」という気配がわたしのあたまではわからない。
平凡なニンゲンのわたしは、勘の働きも凡庸である。
シメキリロボットがほしい。
ベッドの横に立たせておいて、朝起きるたびに、その日のシメキリを喋りはじめてくれるの。
っていうか、原稿送ったら、担当さんの確認後、OKボタン押したら自動的にギャラがキャッシュバックされてくる、っていうシステムでいいよね。(いいね!)
ケータイでできるんだから、原稿でもできるはず。
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フリーランスライターは水商売に似てる。
さいきんのわたしの持論である。
「書く」ことより「人と会う」のがメイン業務。
そうじゃないと、仕事は増えないし広がらない。
そう同業の先輩たちにおしえていただいたけど、「人脈を開拓していく」気力や「人のこころを繋ぎとめておく」能力がわたしには絶望的にない。
だれかと知り合う。メールのやりとり(わたしはLINEやってない)がはじまる。
こういうふうに、人と知り合って連絡とりあうようになるんだけど、メル友増やしていくクエストやらされてるみたい。
毎日いろいろ仕事と直接関係ないメールが来る。
たいていは社会的に相手が上の立場にいるから、お返事しないと失礼になる。
失礼なことすると、仕事に影響が出る可能性がある。
なるべく早く返信を送る。
早く送るとすぐにレスが来る。
レスが来るのが早い人は、だいたいこっちのレスも早く欲しがる人。
一日あくと、機嫌を損ねる人もいる。
レスが出来なかった言い訳が必要になる。
創作原稿のプロット考えるより、「きのう中にメールできなかった」言い訳考えるほうが多くなる。
言い訳ライターでお金がもらえたら、わたしも脱びんぼーライフにレベルアップできるのにねー。(←ピグがクルッとまわってるイメージ)
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ナゼカワカラナイケドシゴトデアウチュウコウネンノダンセイタチカラセックスニサソワレルコトガオオスギテイヤニナリマス。
ワタシモエッチハスキダカラエッチシタイキブンノトキハダレカニサソワレルキタイヲスルコトモアリマスガ、シゴトカンケイノヒトトハエッチハシナイトキメテマス。
エッチノキレメガシゴトノキレメニナルデショ。
セクハラニハラタツノハ、セイテキナハナシニケンオガアルワケデハナクテ、ソレヲイチイチオコトワリシナケレバナラナイメンドウニウンザリスルノデス。
コッチハシゴトノタメニジンミャクヒロゲテルダケデセフレサガシヲシテルワケデハアリマセン。
アッタヒトニスグ「シゴトクダサイ」ナンテイエナイノニ、「スミマセン。エッチハシマセン」ッテイウコトヲイワサレルカンケイニムカツクノデス。
コトワレバキゲンヲワルクスルヒトモイルシ、シゴトヲキラレタケイケンモアリマス。
ワタシガナニカシマシタカ?
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わたしの脳みそに「この仕事ムリムリ」のバオバブの木の根がにょきにょき伸びてきています。
それをひっこ抜く星の王子様がわたしのまえにはあらわれてくれません。
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キングみたいに書いてみようとおもったけど、その試みは成功していない。
わたしはいかに「フリーランス」という形態がじぶんの頭脳には合わない働き方なのかわかってきた。
この世界は才能で仕事をとれるタイプと、人脈で仕事をとるタイプ、の2種類ある。
わたしはそのどちらでもない。
仕事が勝手に舞い込んでくるほど才能はない。
かといって、どこにでも出かけていって人間関係を広げ、じぶんに「チャンス」を増やしていく外交的社交的な資質もない。
いちばんの問題点は、どんな苦労をしてでも「書きたいもの」がないこと。
このテーマを追求したい、とか、これを書かなければいけない、とか、こんな世界を描いてみせたい、とか。
「家にいてお金がもらえる仕事」
ここに惹かれただけではじめたから、「家にいるだけじゃ仕事はもらえない」「いろんな人とかかわらないと仕事にならない」現実がわかってくると、ぜんぜんじぶんに向いてない仕事をなんではじめちゃったんだろう、と('_')←こんな顔になって途方に暮れる。
じぶんの部屋もすっきり整理できない、家計の管理もまともにできない。
怠惰な性格と脳みその不具合のダブル効果で、フツーの日常すらまともに営めないわたしには、「仕事をする」ことすべての業務をひとりでやりこなさなければならないフリーランスという形態は、じぶんの能力を遥かに超えてる。
大物になればちがうんだろうけど、わたしレベルの駆け出しは「好きなもの」は書けない。
ほとんどが注文されるとおりのものを書く。
創作シナリオでも「このテーマで」とか指定やあるていどの設定は決められたりする。
企画を出してみて、とか、なんか好きなように一本(単行本一冊分)書いてみて、とか、そういうチャンスもいただけるけど(採用は保証されてない)、そのときに「わたしはなにを書きたいのか」と自問してしまった。
わたしが書きたい小説やシナリオは、まず商業ベースはムリ。
創作モノではない原稿は仕事だから書いてるだけで、じぶんがやりたい路線ではない。
そもそも「ライター」になれる資質がないから、ライターを専業でやってる先輩たちと話してると、じぶんにとにかく足りないのは「野心」だとわかってくる。
それがなければ、仕事をのほほんと続けていけるほど甘い業界じゃない。
っていうのも、わかってきた。
わたしには「どこがおもしろいのだろう」とおもうようなものばかり書いてる「モノカキ」の人がいる。
わたしならお金出してまで読みたいとはぜんぜんおもわない人。
だけど、その人はわりと「売れてる」。
知り合いの編集者さんに、なんであの人はそんなに売れてるのか聞いてみたことある。
もっといいものを書く人がいろいろいるのに、なんであんなにいい待遇なのかとフシギになったから。
そしたら、その人はじぶんを売り込む「営業力」がものすごいらしい。
編集者さんが呆れるぐらいのことまでしてきた話を聞かされて、わたしは呆れるより尊敬した。
ぜんぜんイヤミじゃなくて。
じぶんの仕事にものすごいホンキなんだなー、って。
とにかく「売れないまま」でいたくない「ホンキ」があるから、どんな努力も苦にならないんだろう。
そういう「ホンキ」を見ると、じぶんは何してるんだろう、とおもう。
そんな「ホンキ」がじぶんの中にはどこにもない。
生活費を稼ぎだせるほかの手段がいまはないから、この仕事にしがみついてる。
ほかで稼げたら、それでも書く仕事、つづけるのかな、わたし。
だれにも会わないで、書きたくもないメールの返信に悩みもしないで、好きな小説は書きたいとおもうかもしれないけど、その小説はお金にならなくていいから、じぶんで電子出版とかすればいいし。
生活費がほかでちゃんと稼げるならね。
いまの「書く仕事」は、すぐさま、やりたくないものを捨てて、やりたいことだけ「シュミ」化させる。
そしたら、このブログとおなじように、読者数も少なくてもなんにも気にならないで、だらだら書いてるだけの人になるとおもう。
わたしにとって「書く」ことは「好き」だけど、それ以上のなにかには化けない。
人気や名声がほしいわけでもないし、人を感動させたい欲もない。
そんな結論が出てしまったのである。であるある。
2015年11月6日の時点では。
15年後、ノーベル文学賞を取ったときには、このきょうの記事はいいネタになるとおもうので、このまま投稿する。
キングのこの本の文体の真似には華麗に失敗したさー。
(途中でめんどくさくなってた)
じゃあの。