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ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

じぶんのしたいえっちをしませう

なんか書く。

なんとなくいろいろかんがえたこと。

 

女同士のマウントのとり方のひとつに、せっくす、があるね。

男とするせっくす(つまりヘテロ)では女側が受身で被害的な意識を持つ人ほど、「男とただせっくすをしただけの女」を見下す。

それは「男からただせっくすされただけの女」って変換されて。

 

せっくすに性的な快楽と満足以外のなにか代償を求めると、「ただせっくすだけをする」行為を被害的にかんじちゃう、っていう思考なんだとおもうけど。

そういう感覚を抱くことは自由だし、それは人それぞれのせっくす観にすぎないんだけど。

他の人がどんなせっくすしてたって、それも自由だし、その人のせっくす観っていうのがあるのだし、そこにじぶんのせっくす観を重ねて、人のせっくすを格付けする必要なんてないのにね。

 

ものすごいせっくす好きの男がいて、とにかくせっくすしたくて、いろんな女を口説いていろんな女とせっくすしてるんだとしても。

そんな男とせっくすした女を、なんで関係ないどこかの女が見下すんだろ。

 

その女側も、ただせっくすしたくて、あとくされのない「ただのせっくす好き」の男とせっくすするのが好都合だったのかもしれないし。
そんな男だとわかってても、その男のことがすごい好きで、だからその男とえっちしちゃった、っていう純愛的なものかもしれないし。

 

他人がせっくすする意味なんてそれぞれ。
男とせっくすしたあとに本命カノジョになって、ちゃんとケッコンして、幸せな一生を築くことが、「そのせっくす」の対価なわけじゃないし。

 

じぶんがせっくすに求める対価を、ほかの女が得られてないと、「ヤリ捨てられた」みたいな被害にあったように見えちゃうだけの話。

そして、そのじぶんの妄想の被害に遭った女を憐れむことで、そんな被害に遭っていないじぶんのプライドを保つ。

 

ものすごいバカバカしい自尊心になっちゃうよね。

貶めるべき他人の存在がないとじぶんの自尊心がなりたたないなんて。

 

 

わたしの場合、すごいえっち好きだから、とにかく「えっち」をしたい。
えっちすることで、その相手のカノジョになりたいとかっていう欲は、じぶんのえっち欲とはぜんぜん切り離されたとこにあって、わたしの場合はぜんぜん連動しない。
えっちしたいからする。
恋愛は別。

 

相手に望むのは、じぶんとえっちしてるあいだの相手の性欲。
相手がわたしとえっちする。
それだけで充分なので、えっちだけしても、相手から「モノ扱いされた」ってかんじない。

相手が「だれでもいいからただヤリたかったとこに都合よくわたしがいた」ってだけだったとしてもね。

わたしと相手のえっち欲が一致してえっちしたんなら、お互いの都合があった、ってことだから、そこにはなにも人格を疵付けあうような感覚は入り込まない。

 

オナニーじゃなくてせっくすをしたいときは、「生身のニンゲン」としたいからするんだよね。
だから、ちゃんとその相手が「ニンゲン」ってことはわかってる。
どんなにえっち好きな男でも、やっぱりオナニーとせっくすは違うものだとおもうし、オナホやダッチワイフを使うのと、生身の女の人とえっちするのは、「違うもの」だとおもうんだよね。

生きてる女の人としたい、とおもってするえっちは、その女の人を「モノ扱い」なんてしてないはず。
一回限りの関係だとしても、ベッドでは紛れもなく「生きてる女の人」とせっくすする快楽を得てるとおもう。

えっちマンガみたいに、女をただ「穴」扱いしてるせっくすしてる男の人って、実際どれだけいるんだろ。

ものすごいナンパ師、みたいな人とわたし、えっちしたことあるけど。
ベッドではわたしを感じさせようとがんばってくれたよ。
脱がして転がして足開いて勝手に入れて動いて抜いて「はいおしまい。帰っていーよー」なんてえっちは、一度もされたことない。

 

そんな行為は、せっくす、じゃなくて、暴力とかわんないとおもう。

そんな一方的な行為しかしない男は、ナンパ師でもヤリチンでもなくて、ただの強姦魔。

 

本心なんてわかんないけど、えっちしてる間は「ふたりでかんじるえっち」をしてる。
女をイカせようとがんばる男の人って多いし。
オナホや人形をイカせようなんて愛撫する男はいないでしょ。

(いたとしたら、それはまたちがう性癖かな)
愛撫すればかんじる生身の肉体だから、男のほうもいろんなことしてくる。
それが上手か下手かは別として。

 

でも、わたしが「えっちだけの関係」には何も傷つかないえっち好き、っていうだけで、女の人によっては「モノ扱いされた」ってかんじるせっくすもあるんだとおもう。

そういう感覚のある女の人が、「モノ扱い」されるようなえっちをしたことを愚かだとはおもわないし、「モノ扱い」されないようなえっちをしてる人のほうが賢い、ともおもわないし。
どんな相手とどんなせっくすをして、そこでじぶんがどうかんじるか、は、運とかそのせっくすするふたりの相性とか価値観の問題だから、そのせっくすにかかわってもいない他人にはなんにもわかんない話。

 

人によって、せっくすに求めるもの、せっくすに抱く感覚、いろいろだから。
じぶんのせっくす観と他人のせっくす観は「違う」。

だから、ほんとに、他人のせっくすを格付けなんてできないはず。

 

それをしちゃうのは、じぶんの中にその感覚を育ませたなにかがあるんだよね。
じぶんの意識の話。

 

次から次へと相手を変えつづけて、たくさんのせっくすを数でこなすことが好きな人。
そんなせっくす好きな人とせっくすする人。

そういう「せっくす」がある、っていうだけで、それはじぶんにはわからないものだし、じぶんのせっくすではないんだから、異常がる必要もないし、貶める必要もないし、見下す必要もないし、じぶんと関係ない他人のせっくすの評価をする意味なんて、だれに対してもない。

 

じぶんが満足するせっくすすればいーじゃんー。

他人がどんなせっくすしててもいーじゃんー。

好きじゃないタイプの異性とはじぶんがえっちしなければいーじゃんー。

じぶんが好きじゃないタイプの異性とえっちする同性は、じぶんとは関係ないじゃんー。

 

ってこと。

 

せっくすって、ひとつやふたつの価値観じゃ語り尽くせないからねー。
ものすっごい奥が深いよねー。
じぶんが「せっくす」のすべてを体験できるわけじゃないしねー。
オナニーだって、人によってやりかた違うし、なにがオナニーするじぶんをそそらせるのかも、人によってぜんぜん違う。


なにがよくてなにがわるい、とか、外から判断するものじゃないから。
じぶんがかんじるものが、じぶんのえっち観になる。

 

かわいそうに見えるあの女の人は、そこでものすっごい快楽を貪っているのかもしれない。
サイテーに見えるナンパ自慢の男の人は、ベッドでは女の人をものすごい陶酔させるえっちな王子様かもしれない。

 

感じるせっくす。
傷つくせっくす。

どんなせっくすも、他人のせっくすは、他人のもの。
憐れみとか蔑みとか、それはじぶんのこころがつくるもの。
他人のせっくすの価値を定める基準にはならないよ。

 

 

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わたしの街に来たイケメンにぜんぜんそそられてないわたし。