人と人が争う必要はない場所
いろいろ人のブログ読んでて、いいこと言ってるなー、っておもう記事をいろいろ見るけど。
でも、よく読むと、それはどこかのブロガーとのいろいろなやりとりの一連のものだったりして、スターをつけると、その「だれかとだれか」のゴタゴタのどっちかに加担することになっちゃうのかなー、っておもって、けっきょくスターもブクマもなにもつけないで素通りする。
ひとつの意見にちがう意見をぶつけてみるとき。
意見に対して意見をぶつけるのか。
意見を言う人、に対して、「あなたは変わりなさい」という要求をつきつけるのか。
これはちがうよね。
後者の構図になってしまってる意見対立のやりとり見ると、そこに出てる意見にいろいろ同意したり異論を抱いたりしても、その話題にくわわることは「人と人の争い」に参加してしまうこともある。
わたしはこれで失敗した経験もある。
意見に対する「ちがう意見」をつきつけることは、そこに「ふたつの意見」を並べることになる。
そしたら、それを見た人も、かんがえる範囲が広がる。
じぶんとちがう価値観の人に、その価値観を抱く人の人格まで否定した意見をつきつけるというのは、そこにある意見をじぶんの意見で塗り替えようとすること。
だから、人格vs人格の諍いになって、プライドの傷つけあいになっちゃう。
ちがう意見をフラットに並べる。
その多様の意見から、じぶんの意見というものをかんがえてみる。
そういうことをうまくできるようになりたい。
「議論」は意見と意見の対立であっても人格と人格の対立にする必要はない、っておもうから、人格対立になっちゃってる場を回避する知恵をもちたい。
◆
シルバーウィークだから沖縄に行ってきたよー。(ピグ的に)
水着はレンタル。
ビキニとかセクシーなのはなかった。
これしかなかった。(海の家を通過したら自動的にこれ着てたの)
これから潜ります。
(海の家に手荷物預けてないのでいろいろ持ったまま)
空気がもうないので、この直後、海中浴はおしまい。
(海底に宝箱が隠されてる洞窟があるらしいけど行けなかった)
いろいろ行き詰ったときは。