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ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

「日記」の本とブログ

このまえ、なんとなく「日記」スタイルの文章を読みたくなって、そういう本を探しにブックオフに行ってみた。
そういうときは、あらかじめネットで調べていく、なんてことはしない。
なんのアテもなくふらっといって、そこで安いほうの文庫棚をうろうろして、そこで目についた本をいろいろ選ぶ、っていう買い方が好き。

 

「日記」っていったら、『ブリジット・ジョーンズの日記』ぐらいしかパッと思いつかなくて、まえに読んだことがあるけど、ぜんぜんおもしろく読めなかった記憶と読むのを挫折した記憶と2種類がある。
前者の記憶だとラストまでわかってる。
だから、途中で挫折した、っていう記憶は「あり得ない」、って思うけど、このラストの記憶はもしかしたら映画の記憶とごっちゃになってるのかも。


わたしの思考はあたまの中にあるあいだは映像になってるから、あたまの中の記憶って映画の映像と区別がつかないんだよね。


ラストの記憶にはマーク・ダーシ―とブリジットの会話のぶぶんもあるんだけど、その記憶のブリジットの映像がレネー・ゼルウィガーじゃないの。
作者のヘレン・フィールディングなの。
だけど、マーク・ダーシ―の映像はコリン・ファースなの。
コリンは映画の記憶だけど、ヘレンは小説読んだときにずっと思い浮かべてたブリジットの姿だから、小説もちゃんとラストまで読んだってこと?
それとも、映画のラストしか知らないのに、その記憶に小説のイメージも混ざりこんじゃってる、ってこと?


って、ものすごいじぶんのあたまがちゃんと記憶を整理整頓してないことに呆れる。

 

とりあえず、108円だったから、『ブリジット・ジョーンズの日記』は、さいしょのと続編のと両方買ってきた。
これは文庫じゃなくて単行本のほうで。
(文庫の古本は108円の棚にも高いほうの棚にもなかった)

 

※この記事中のアマゾンのリンクはわたしのアフィリエイトではありません。

 

ブリジット・ジョーンズの日記

ブリジット・ジョーンズの日記

 

 

ブリジット・ジョーンズの日記―きれそうなわたしの12か月 秋冬篇

ブリジット・ジョーンズの日記―きれそうなわたしの12か月 秋冬篇

 

 

 


それからテキトーに海外文学のコーナーを見て、もう一冊、「日記」ってタイトルについてる本を見つけた。
『アビィ・リーの日記』
文庫の表紙は、男女がキュートなキスしてる実写の写真。
副題は『わたしは困ったラブ・ファンタジスタ』。

 

アビィ・リーの日記―わたしは困ったラブ・ファンタジスタ (集英社文庫)

アビィ・リーの日記―わたしは困ったラブ・ファンタジスタ (集英社文庫)

 

 
「ファンタジスタ」ってなに?
って思ったから、帰ってから調べた。
「アドリブの上手い役者や芸人を指す言葉」
だってー。


愛のアドリブがうまい「困った」人、って意味でいいのかな。


まさに、内容はそういうえっち日記。
それもすっごいの。
しかも、これはブリジット・ジョーンズのように創作の日記じゃなくて、ほんとの日記。
外国のアビィ・リーっていうブログネームでリアルでは言えないえっちな日常を書いたブログを書籍化したもの、だって。


書いた人は30代の独身フリーランスカメラマンアシスタントの女性。
本人が書いてることだけど、ものすっごいセックス中毒。
いつもセックスや男の股間のことばかり考えてる人。
だから、恋人以外の男ともえっちしちゃう。


いちばんさいしょの日記はこんなふうにはじまってる。

 

 一月一日(土)
 ずばり言わせてもらえば、ヤリたい。
 最後に寝た男はスティーヴンで、それも何ヶ月も前の話。もう、したくてしたくてたまらない。


///『アビィ・リーの日記』//アビィ・リー


これって、わたしがやりたかったブログ、なんだよねー。
まえのブログのタイトルに「いろいろえっち」なんて入れたのは、リアルの人間関係でやってたフェイスブックじゃ書けないじぶんのえっちな話を書きたかったから。
ブログをはじめたときは、わたしはカレシもセフレもいなくて、でもすごいえっちしたくて、えっちなことばかり考えてた。
こんなにものすごいえっちしたいのに、なんでその欲望がかなわない毎日送ってるんだろー、って思ってた。


アビィの日記が創作なんかじゃなくて、ほんとにこれを書いた人が実在して、その人がほんとに経験したり考えたりしたえっちなことが書かれてる、っていうのにものすごい惹かれて、これ買ってきた。


まだ途中までしか読んでないけど、ものすっごいおもしろいー。
こんなブログ、日本にもあったら、やっぱり書籍化されちゃうよね。
でも、けっこう炎上しちゃったり、辛辣な批判がおおくて奔放に書くことを委縮してやめちゃうかもしれないね。
この日記を読んでると、いくら匿名とはいえ、ここまで奔放に書ける自由さがステキ、って思った。
(これが出版化したら素性をすっぱ抜かれちゃったみたいだけど)

 

Girl with a one-track mind


そのブログはこれ。
英語の練習するために、えっちなブログを読む、ってサイコーかもしれない、って思った。


だけど、本の日記の日付とおなじとこ(本は西暦は書いてなくて月日と曜日があるから、それでブログと照らし合わせたの)を見ると、本の日記とブログの英語はわたしのあたまにはぜんぜん違う内容に思える。
書籍化するときに編集をくわえたみたいだから、本の日記がそのままブログの翻訳版、ってかんじにはならないみたい。


ブログ本っぽく、ブログで知り合った人との話も書かれてる。
日記の途中には、この人のセックス論も書かれてて、これもおもしろいの。


たとえば、
"女のABC 「ペニスの大きさ」編"
とか。
小さいペニス、大きいペニスを女性から見た「長所」と「短所」を書いてて、これは男の人が読んでもおもしろいと思う。


えっちしたくてガマンできないと、外出先の試着室とかトイレとかでもひとりえっちしちゃう。
バイブをこわれるぐらいに使ってるひとりえっちのヘビィユーザー。
えっちにいろいろ好奇心旺盛だから、お尻えっちも経験しちゃう。


とにかくえっちなことが、言葉を曖昧にしたりぼやかした表現なんかしないで、ものすっごい生々しい言葉でものすっごいストレートに書かれてる。
書かれてることがけっこう下品なのに、読んでてぜんぜん嫌悪感わかないのが、この人の文才と人柄だと思う。
ぜんぜん「イヤなオンナ」じゃないから。


えっちがキライじゃないオンナなら、こんなふうに素直にじぶんのえっち欲と向き合えたらいーよねー、って憧れちゃうぐらい。

 

 男はセックスのために愛を利用し、女は愛のためにセックスを利用するという通説はまやかしだ。わたしの経験から言わせてもらえば、男は女とまったく同じように愛に飢えているし、女は男とまったく同じように性的な快楽と満足感を求めている。
 両者の違いは、男が"かよわい"とか"女々しい"などとみなされるのを恐れて、感情面の欲求を認められないこと。そして、女が性的欲望をあからさまにすれば、ただちに"ヤリマン"のレッテルを貼られること。性差に関する固定観念にとらわれているから男女の関係にあつれきが生まれる。

 

///『アビィ・リーの日記』//アビィ・リー

 

わたしはネットで「えっちえっち」「ビッチになりたい」って発言を繰り返してきたら、その反応として、性的なことでは男女の人権は違う、ってものすごい勢いでお説教してきたおじさん(既婚)や、えっちを「してあげようか」と上から誘ってきたおじさん(複数)や、貞操観念のゆるい同性を見下す自称貞操観念しっかり女性とか、いろんな「人のえっち観」を知る機会があった。


「セックス」をなにか「意味のある」行為と思っている人ほど、「ただ、したいからする」行為をそれまま受け入れてくれない。
不特定多数としたがるのはメンヘラだから自傷行為とおなじとか、いつかじぶんが傷つくとか、わざわざなんでえっちしたいと言うのかとか。


おなかすいたー。なにか食べたいー。
って書くことにいちいち意味を問う人なんていないと思うけど。


えっちしたいー。えっちえっち。
って書くと(匿名の場所でも)、わざわざそんなことを言う意味、っていうのを一生懸命に考えてくれちゃう人がいる。


セックスをすると「何かが失われる」「何かが損なわれる」「何かが瑕つく」って思いこんでる人たちが、セックスをすることをネガティヴにとらえる。
そういう人の価値観をわたしは変える気はないけど、その人たちと違うわたしの価値観もほっといて、って思う。


だったらネットに書くな。
っていう意見はかならず出てくる。


だけど、わたしは個人のアカウントもまさに個人の価値観のひとつだと思ってるから、他人が他人のアカウントの利用の仕方にいちいち規制をかけることに少しも同調できない。


この価値観は嫌いだ、って思うのと、その嫌いな価値観の人をどうにかしようと(発言を変えさせたりやめさせたりすること)とはぜんぜん別のことで、嫌いだと思うのは嫌いって思う人の「自由」だけど、「書くな」というのは他人への「干渉」。
よけいなお世話、なんだよね。


このアビィの日記はものすごい人気になったから書籍化されたわけだけど、たくさんの人たちに読まれるようになって、やっぱり批判とかいろいろめんどくさい反応もあったかのなー、って気になる。
(この先、どこかに書いてあるのかな)


でも、訳者のあとがきによると、人気が出てからは「毎月一万件のアクセス数を記録する」って書かれてる。
え?月にたった一万?
って、ブログやってる人なら思うよね。
はてなだとブックマークがちょっと多くついただけで、一日にそれぐらいのアクセスになっちゃう。
300強/日のアクセスぐらいなら、ぜんぜん人気ってレベルじゃないフツーのブログのアクセス数だし。


これが書籍化された頃の日記は2004年からのもの。
その頃はインターネット全体的に「ブログを読む人」はそんなにいなかったのかもね。
いまだったら「人気」になっちゃったら、もっとケタ違いのアクセスになるだろうから、ほんとにいろんな人が見ることになる。
好きだから読む、っていう人ばかりじゃないし、嫌いな人ほど熱心に読むし。
だから、批判もその分増えるし、そのブログがものすごい嫌いなことを熱心に伝えようとしてくるヒマな人も出てくる。
読者が増えればその分、好意的じゃない読者も増えちゃうから、書いてるほうもたのしくない気分になっちゃうこともある。


人によって価値観がものすごい違って、しかもちがう価値観を認めがたいようなテーマで「奔放に書く」ことを継続するのは、昔よりいまのほうが難しいかもね。
海外のインターネットユーザーはもっと他人を尊重する点で成熟してるのかもしれないけど。


日本なら、やっぱりどこかで潰されちゃったかもね、って思う。
わたしは、こういう「性愛的なホンネ」を、煽るような書き方じゃなくて、アビィみたいにじぶんの中から出てきたままに率直に書いてるようなブログをいろいろ読んでみたいな。
じぶんももう少し、えっちなこと書いてみたいな、っていま思う。


なんとなくさいしょにタイトルだけつけて、そのあと、ぜんぜんちがう路線の記事でおおぜいの人に読まれるようになっちゃって、あのブログを作った時に一番に書きたかったことをどんどん書きそびれたまま、いまに至ってる、っていうかんじ。


わたしは個人のブログは、その人のものすごい個人的な感覚で書かれた日記とか雑記とかが好き。
どこのだれかも知らない、別に有名でもない、ほんとにフツーの日常にいる人による、その日常で感じてることの言語化。


仕事に行く電車に乗ってて考えてたこととか。
通勤電車を有意義に乗りこなすライフハック、みたいな記事じゃなくて。
窓の外を流れてく光景になにを感じたとか、蒸し暑くてきぶん悪くなったとか、目の前に座ってる人がお化粧してて、その変わってく顔がおもしろかった、とか。


好きな人ができた。
その恋でじぶんがどう変わったかな、とか。
いつもはただスマホいじりながら歩いてただけの歩道も、恋をしてからウィンドウに映ってるじぶんをついチラチラ見て、服装とか姿勢とかチェックしちゃうクセがついた、とかね。
恋をしたらじぶんにチェックいれるべき10のこと、とかって言う、読者全般に向けて書く啓蒙的な恋愛論にはしない個人的な言葉でつづられた個人的な話をいろいろ読みたい。


わたしも個人的なことばかりだらだら書いていきたい。
それが読む人の倫理に反したことでも、だれかに気に食わない価値観でも、ここにいるわたしの世界が読んでる「あなた(これは特定の人を指してません)」の世界とリンクしてない限り、わたしがあなたの人生に困った影響を与えることはない。
大丈夫。
安心してブラウザのタブをクリックして、わたしの価値観の世界を閉じて、あなたの視野から消して。


そんなふうにして、好きなことを好きなように書いていきたいし、そんなふうに書いてる個人的なブログをわたしは愛するし、そういうブログをこれからももっと見つけていきたい。


「日記」って書くのも読むのもたのしい。