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ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

秘密を語る

また『スプートニクの恋人』の話。
(※完読はしてないけど途中のストーリーの展開に触れるので未読の人は注意してください)

 


まだ前回の記事を書いてからは読み進めてないから、すみれの「文書」を「ぼく」が読んだとこのシーン。
ここまで読んで、ちょっとモヤモヤしたことがある。


「すみれ」「ぼく」「ミュウ」
ほとんどこの3人しか出てこない小説だけど、この3人ともが「どこにでもいるようなフツーの人」としては描かれてない。
それぞれが個性あって、3人ともの人格が少しも下劣なとこもなくて、わりと意識高いタイプ。
とくに「ミュウ」は知性のあるステキなオトナ、っていうキャラクターになってる。


ミュウは既婚の女性だけど、すみれが恋をしてしまった相手。性欲もかんじてる。
「ぼく」はすみれに恋してるけど、すみれとは性的な関係抜きの友人。
すみれは「ぼく」がそばにいないと寂しい、と思うぐらいに「ぼく」をだいじな存在に思ってるけど性的な対象としてはみてない。


この3人の関係はさいしょは、「ぼく」はすみれからミュウの話を聞かされるだけだった。
でも、すみれがミュウとギリシャの島でバカンスを楽しんでるとき、すみれがいなくなってしまったとミュウが「ぼく」に電話をかけてきて、「ぼく」をギリシャに呼ぶ。
その島で「ぼく」はミュウと逢う。


ここで3人ともが直接つながりあう関係になったんだけど。


ミュウは「ぼく」に、すみれがいなくなった時の状況説明をするのね。
さいしょは、だれに話しても構わない「説明」をする。
でも、途中から、

 

「ねえ、あなたはほんとうに本当のことを知りたい?」

 

 ///『スプートニクの恋人』// 村上春樹

 

と、ミュウは「ぼく」に言いだす。
「ぼく」は、もちろんそれを知りたがる。
すみれが「ぼく」をだれよりも信頼していたのをミュウは知っていたから、「ぼく」にほんとうのことを話しだす。


わたし、ここ読んでて、ちょっとミュウって人にがっかりした。
なんで、そんな話をしちゃうの?って。


すみれとミュウのあいだにあった「ふたりだけ」の話。
その中には性的な話も含まれてる。
それをミュウはぜんぶ(詳細に)、「ぼく」に話してしまう。


わー、サイテー。
って、わたしの感覚では思っちゃう。


すみれは「ぼく」にはいずれじぶんで話したかもしれないけど。
(小説はまだ途中だから、すみれがどうするかはわたしにはわかってない)
でも、すみれ自身が話すまえに、ちがう人(ミュウ)が「ぼく」に話しちゃうことにわたしはものすごいモヤモヤする。


ミュウが「話してもいい」って判断しても、その話はすみれにとってもものすごい個人的で、すみれの同意がなければ、すみれの話を人に話すのってどうなの、って思っちゃう。
それも性的な話。
そんなの、その性的なことの当事者以外に知る必要もない「ふたりきり」の話。


その「ふたりきりの話」は、ミュウのものでもあるけど、すみれのものでもあるよね。
せっくすの相手にしか見せないじぶんの性的なぶぶんを、勝手に第三者に話されちゃう、ってものすごいイヤ、っていう感覚がわたしにはある。
すみれを知らないミュウの友だちに話すのは「すみれ」が匿名的な話になるから、これはべつに抵抗はないけど。
すみれ側の知人に話しちゃうの、ってダメでしょ、ってものすごい思う。


すみれはじぶんの知り合いにじぶんの性的なことを知られちゃうんだよ。
ミュウがやったことは、すみれと「ぼく」の関係性をこわす行為。


小説上、読者に知らせるための展開とは解釈できるし、「ぼく」とすみれはそれぐらいで関係性はこわれない気もするけど、でもそれでもミュウがやったことは、ミュウのキャラクターにはものすごい違和感ある行為だった。
それまでの「ミュウ」の描かれ方からすると、それこそすみれとのあいだにあったことは、どこにも出さないぐらいの「秘密」の扱い方が上手な知的なオトナだと思ってたから。
でも、そこらへんの秘密を守れない人みたいに、「あなただから打ち明けるけど」なんて話しちゃうのに、ものすごいがっかりした。


だれになら打ち明けてもいい、って勝手に判断するのは、秘密の取り扱いに慎重でもない。
他人とじぶんの区別がついてない人でしかない。
だから、他人のものでもある秘密をじぶんだけのもののように扱っちゃう。


すみれはすみれで、ミュウから、ミュウのある「秘密」を聞きだす。
ミュウには、じぶんをおおきく変えてしまったある出来事があった。
それをだれにも(ケッコンした夫にも)言わないで生きてきた。
だけど、すみれからそれを話してと懇願されて、結局話してしまう。


わたし、ここでも、ミュウってただのおしゃべりじゃん、ってがっかりした。
じぶんの秘密も扱いきれない。

 

どんなことにだって語るべきときがあるのよ、とわたしはミュウを説得する。そうしないと人はいつまでもその秘密に心を縛られ続けることになる。


 ///『スプートニクの恋人』// 村上春樹


すみれはミュウにこう言う。
ミュウを苦しめているミュウの「秘密」からミュウ自身を解放してあげること、の意味はわたしもわかる。


ミュウもそれをどこかで望んでいたから、すみれに話してしまったのかもしれない。
でもその直前、すみれに話せば、その「秘密」にすみれも巻き込むことになる、って言っている。
それでも話してしてしまったミュウは、意図してすみれをじぶんの秘密に巻き込んだことになる。


ミュウの秘密を聞いたすみれは、それをじぶんの中に留めなかった。
ミュウの秘密をパソコンで「文字」にして、「文書」に残した。
じぶんでよく考えるためにすみれは「書いて」みたんだと思うけど、とにかくミュウの秘密を「文書」という形にした。
その「文書」を「ぼく」が読む。


秘密を共有することで人と人がより深く結びつく。
人はそんなに強くはないのだ、っていう小説なのかな、なんてことをわたしはここでぼんやり思った。


なぜ、この人たちはそんなにカンタンに「秘密」を語るんだろう。
じぶんの秘密。
人の秘密。
それを「語って」、ほかの人も知れる形に仕立て、人と共有する。


じぶんのすべてを第三者に認知してもらうことが、「生きる」ということに必要なのかな。
確かに、秘密を秘密でなくしてしまうことが、その秘密の呪縛から解かれるいちばんの方法かもしれない。
その方法というのが、秘密をじぶん以外のだれかに打ち明けてしまうことなら、人の救いには「他人」が必要になる。


ミュウから聞きだしたミュウの秘密を、すみれだってじぶんの中に抱え込む気なんてなかった。
だから、それを文字にしてしまう。
それを保存したフロッピーをだれも開いて読んだりしないと想定してたとしても。
文字にした時点で、すみれの中からミュウの秘密を放って、すみれ自身がミュウの秘密から解放されてる。


人はそれをしないと、「だれにも言えない苦しみ」を抱えたままでは生きていけないから、洞窟でも神の懺悔室でも、なにかしらの吐きだし口をつくるのかな。


「じぶん以外のだれか」がいないと、人はじぶんを苦しめるものから救われないのだとしたら、生きていくって相当めんどくさい。


いま、わたしを苦しめるあることは、わたしはだれにも言えないでいる。
ブログに書くとか、どこかだれも見てない場所で書くとか、そういうこともできないでいる。
書くことはやろうと思えばやれるけど、わたしのこころが、そういうことをしたがらない。
もしだれかに「打ち明けて」と懇願されても、こころが揺れることもないと思う。
だけど、じぶんがそれを抱えることに悲鳴をあげてる。
苦しくて、助けて、って言いたくなってる。
じぶんが抱えてるものから、じぶんが解放されたがってる。


だけど、それができない。
神さまにこっそり打ち明ける、なんてこともしない。
そんなことをしてなんになるのだろう、っていう、やる前から虚しさがあるから。


ミュウはすみれに結局はじぶんの秘密を話した。
だけど、その秘密は「ぼく」も知ることになった。


それでも、じぶんが救われたい?
じぶんの中から放った「秘密」はもう秘密でもなくなって、それがじぶんの関知しない第三者にも共有されるかもしれない。
そんなリスクも含めて、秘密をじぶんの中から外に放つことでじぶんがその秘密から解き放たれたいと思うものなの?


いまはモヤモヤ考えてるだけ。
この答えは、まだぜんぜんわかんない。
だけど、すごい考えちゃうことだった。
この、ミュウとすみれの「秘密」の取り扱い方にいろいろ。

 

 

 

うむ。(すみれの真似)

 

 

 

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ピグに教会がなくなっちゃった(期間限定?)のが残念。

 


 

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