ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

そうね? そのとおり!

まだ『スプートニクの恋人』を読んでる。


すみれがフロッピーに保存した文章を「ぼく」が読んでるシーンに辿りついて、やっとすみれがわたしに似てるって言われた理由がわかった気がした。
わかった気がした、っていうより、わたし自身が、「なにこれー、わたしー?」って驚いたぐらい。


※この記事中の引用ぶぶんはすべて、
村上春樹さんの『スプートニクの恋人』という小説からのものです。

 

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

 

 

 

 

   文書1


 <人が撃たれたら、血は流れるものだ>

 

この章ね。

 

 どうして書かずにはいられないのか? その理由ははっきりしている。何かについて考えるためには、ひとまずその何かを文章にしてみる必要があるからだ。
 小さなころからずっとそうだった。何かわからないことがあると、わたしは足もとに散らばっている言葉をひとつひとつ拾いあげ、文章のかたちに並べてみる。もしその文章が役に立たなければ、もう一度ばらばらにして、またべつのかたちに並べ替えてみる。そんなことを何度か繰り返して、ようやくわたしは人並みにものを考えることができた。文章を書くということは、わたしにとってはそんなに面倒でも苦痛でもなかった。ほかの子供たちが美しい小石やどんぐりを拾うのと同じように、わたしは夢中になって文章を書いた。わたしは息をするようにごく自然に、紙と鉛筆を使って次からつぎへと文章を書いた。そして考えた。

 

ここ、まるで、わたし。
書かれてる内容も、この文章そのものも。


この文章をブログに引用するためにじぶんで打ってたら、じぶんが書いた文章のようになんの違和感もなく指が勝手に滑らかに動いた。
なんていうか、文章のリズムっていうか、文章の息遣いっていうか、この文章があたまから溢れだしてくる「流れ」が、わたしの中にある感覚とものすごい合う。


それから。

 

 ものを考えようとするたびにいちいちそんなことをしていたら、結論を出すのに時間がかかって仕方ないだろうとあなたは言うかもしれない。言わないかもしれない。でもじっさいに時間はかかった。小学校に入った頃のわたしは、まわりから<知恵遅れ>じゃないかと思われていたくらいだった。わたしは同じクラスの子供たちとうまくペースをあわせてやっていくことができなかった。
 そのようなずれを与える違和感は、小学校を出る頃にはずいぶん減っていった。まわりの世界のあり方に自分をあわせていく方法を、ある程度までわたしは覚えた。でもずれそのものは、大学をやめて、公式な人との関わりを絶ってしまうまでずっとわたしの中にあった。草むらの中の無口な蛇のように。


これも、「えー、これわたしー?」って声出したくなったぐらい。
いままでもいろいろ書いてきたけど、わたしは、とにかくほんとに知恵が遅れてたのかもしれないけど、「ものを考える」ってことが、おなじ年の子とおなじようにできてない子どもだった。


だから、わたしのお母さんは「よく考えなさい」って言って、わたしに日記を書かせた。
わたしが書きだした日記は、じぶんの考えたこととかをいろいろ書くんじゃなくて、聞いた人の言葉とかじぶんが見たものをうつしとるように書いてた。
人の言葉なんて、耳で聞いただけじゃ「意味のある言語」としてわたしのあたまにぜんぜん入ってこなかったから。
日記に書いたからって、それを読み返してわたしがすぐ理解する、っていうこともなかった。


わたしはなにもわかってないまま、わからなかった言葉を書いて、それをわからないまま読み返して、その言葉だけを記憶にとどめる。
そういう言葉の意味がわかるのは、ずっと何年も経ってから、っていうこともある。
オトナになってから、「あ。」って、あの時に日記に書いたことの言葉の意味がはじめてわかった、っていう瞬間とか。


だから、わたしにとって「書くこと」はだいじだった。
いまだって、だいじ。
そういう方法を教えてくれたお母さんには感謝してる。


学校の先生はだれひとり、わたしのあたまの状態はわかってくれなかった。
「ちゃんと考えてないバカ」っていう捉え方しかしてくれなくて、障害児学級にうつるように言った先生もいたし、中学校では「世の中をなめてる」って取られ方もした。


授業は先生がなにを話しているのか、その言葉そのものがわからなかったから、どんな学科も理解できない。
友だちといても、じぶんがみんなに嫌われてることを友だちの態度や言葉のニュアンスで気づくことができない。
優しい声で誘われれば、わたしは好かれてる、って思って嬉しくなってついてったし、そこでわたしだけ無視されても無視されてることにその頃のわたしは気づかなかった。


じぶんが「いじめられてる」っていうのを知ったのも、じぶんの自覚じゃなくて、人がその事実に気づいて、それで教えられて、はじめてイジメの対象になってたことを知ったぐらい。
鈍感、っていうんじゃなくて、人の態度や言葉をわたしはちゃんと理解が出来てなかった。


そういう事態に気づいたわたしは、だからってどうすればいいのかじぶんのあたまで考えつかなくて、そのまま学校に行かなくなった。
家にいると、友だちの言葉がイジメなのかいちいち考えないで済む。
授業もぜんぜんわかんなかったし、じぶんがなにを学んでるかわからなければ、じぶんがなにを学びたいかもわからない。
向学心っていうものが、わたしにはぜんぜん生まれなかった。


家は家族にいろいろあって、いろいろひどい状態になってって。
習っていたものは、経済的な理由でぜんぶやめてる。
不登校が続くようになって、何度か通信教育の教材をとってくれたけど、それも経済的な理由で継続されなくて、「今月はこないなー」って思ってると、お母さんが、あれはぜんぜんわたしがやってないじゃない、って怒って、それでもうこないことを知る、っていうかんじ。


それだって、わたしはさいしょはじぶんのせいだと思ってた。
いつの頃か、うちにはお金がない、っていうのをわたしのあたまで理解できた時、習い事をやめたり何も買ってもらえなくなったのは、お金がないせいだ、っていう理由に結びつけれるようになった。


お父さんがいろいろうちからオモチャを持ち出しちゃったから、わたしはじぶんがだいじに遊んでいたものもなくなった。
時々気まぐれに戻ってきて、そういう時はドライブに連れてってくれたり、レンタルで映画を借りていろいろ見たけど、お父さんが来なくなればそういうことも出来なくなる。
不登校してたわたしが継続してやれたことは、家にある親の本を読むことと、日記を書くこと、だった。


本を読むのはいまよりももっと時間がかかったけど、ほかにやることはなにもない毎日だったから、わたしはものすごい時間かけて本を読んだ。
意味がわからないと、そのぶぶんをノートに書き写した。
書いてみると少し理解できることもあった。


児童向けの本から読んで、それで読むものがなくなると、親が読んでた小説も読みだした。
本をたくさん読んでると、あたまが「本を読む」ことに慣れてくる。
理解できないままの文章のただの連なりも、そこに散りばめられてる単語を拾ってるとそこからいろんな映像があたまに広がる。
わたしの理解力でつくる映像だから、もっとあとになってわかるようになってから読み返したらぜんぜん内容がわたしの理解してたものと違ってた、っていうのもある。


たくさんの本を読んで、いろんな漢字を覚えた。
言葉も覚えた。
そこに書かれてるいろんなことを覚えた。
家から出ないのに、街の様子や外国や見たこともない家の中とか、そんなものを「知った」気になる。


わたしは小説から「人のこころ」みたいなものを知るようになった気がする。
小説にはいろんな人が出てくるから、お母さんが考えてることがなんとなくわかってきたり。
お金でつくられる人の性格とか、笑顔で会話してる人のこころの中の本音とか。
本をいろいろ読むようになって、わたしの世界が平面じゃなくて立体になってった。


物事には、なにもかも「見えてる」ぶぶんと「見えない」ぶぶんがある、ってことがわかってきた。
友だちが笑顔でわたしを誘ってくれても、その笑顔には、ほんとのスマイルと、嘲笑の意味がある、っていうのもわかったし、意地悪さの実の皮が優しい態度、っていう黒い果実みたいなものをわたしは思い浮かべるようになったし。
日記にそんな果実の絵を描いたりしてた。


そもそも、意地悪いことをするために優しい態度で接してくる人は「友だち」ではない、っていうのも、わたしはわかるようになった。


すみれは、そういうことも書いてるんだよね。
だから余計に、「これはわたしー?」って、ものすごいびっくりしながら、すみれの「文書」を読んだ。

 

  私は日常的に文字のかたちで自己を確認する。
   そうね?
  そのとおり!

 

 考えてみれば、自分が知っている(と思っている)ことも、それをひとまず「知らないこと」として、文章のかたちにしてみる--それがものを書くわたしにとっての最初のルールだった。「ああ、これなら知っている。わざわざ手間暇かけて書くことはないわね」と考え始めると、もうそれでおしまい。わたしはたぶんどこにも行けない。

 

わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、わたしたちが知らないことが同じぐらいたくさん潜んでいるのだ。
 理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。
 それが(ここだけの話だけれど)わたしのささやかな世界認識の方法である。

 

わたしはひきこもって、そういうことを他人にいちいち惑わされずに、ずっと時間をかけてひとりきりで考える時間があったから、そういうことがわかってこれたんだと思う。
あのまま学校に行き続けてたら、わたしはそのうち都合のいいパシリみたいな立場にされて、いろんな言葉やいろんな人のこころやいろんなことの善悪の理解もまったく身につかないままものすごいことをやっちゃって(やらされて)たかもしれない。


「読む」「書く」
これを他人の干渉なしにじっくりできる時間を、わたしは何年も持てた。
だから、ひきこもりをやめて社会にまた出ていった時、昔よりじぶんがいろんなことを理解しやすくなってた。


それでも、いまだって、わたしのあたまはなにかズレてる。
昨日まで赤く見えてたものが、今日、それが青色だと気づいたり。
でも数日すると、わたしはそれが何色なのかわからなくなる。


今日わかってるつもりのことが、わたしは明日にはわからなくなる。
理解の成熟とは常に認識が変化していくこと、っていうものなのかもしれないけど。


わたしの場合、そういう成熟に向かう過程とは別に、ものの形の認識が変わっていくんだよね。
わたしの思考はすべてあたまの中で映像になってる、ってなんども書いてきたけど。
この「映像」が、あるとき一瞬でぜんぜんべつのものになる、っていう感覚に陥ることがある。


おなじビーズやキラキラしてるカケラがはいってる万華鏡みたいに。
そこに入ってるパーツはなにも変わっていないのに、わたしのあたまにある映像はぜんぜんちがう形のものになる。
そうすると、変わるまえの映像を思い出せなくなって、じぶんの認識のどのぶぶんがどんなふうに変化したのか、自覚として持てないこともある。


言うことがころころ変わる人、って、もしかしてこんなかんじに感覚になっちゃうのかな、って思うけど。

 

じぶんが見聞きするものをじぶんの思考にするのに、いまもわたしは時間がかかる。
子どもの頃は、じぶんが「わかってない」ことにも気づいてなかったけど、いまのわたしは「わかってない」自覚は持てる。
だから、その「わかってない」事態に陥った時、とりあえず、として、わたしは持ち合わせてる知識で繋いでおく手段を覚えた。


みんなが「たのしい」って言ってることが、わたしにはそのたのしさをぜんぜんわかんない時がある。
その時に「えー、わたしはぜんぜんたのしくないんだけど」って言ったり、たのしくない顔するのは社会的によくない、っていうことはわたしにはわかってきた。
だから、いっしょに「うんうん」頷いておく。
「これのなにがたのしいのー」
っていうギモンは、わたしの中で保留にしておく。
「たのしくない」って否定でピン止めするのもよくない、っていうことをわたしはさいきんになってわかってきたから。
だから、保留。


それで時間を稼いで、そのあいだに「なにがたのしいのー」ってことを考える。
その答えがみつからないあいだは、それをたのしんでる人の前では「うんうん」って笑顔で聞いてて(ウソの態度で騙してるとか無責任な迎合、っていうのとはちがう。「わかってない」うちに「反発」しない、って心掛けようとしてるだけ)、あたまの中ではずっと保留状態。

いつかわかる時がくるかもしれないから。


ものすごい否定的にとらえて、それを断定した言葉で批判してたある事があって。
わたしはそれが突然、肯定的に理解できるようになった。
そんな体験をついこのまえしたばかり。
その時に、わたしは「なんでもさいしょに否定して批判したらダメだねー」ってことを、やっとじぶんの体感で学んだ。
この「否定」の失敗はこれからもまだまだやっちゃいそうだけど。


だから「保留」。
その保留のあいだの態度は、その場に応じてじぶんの知ってきたものから選ぶ。
わたしはいろんなものとじぶんの「ズレ」のあいだに亀裂をつくらないようにパテを使う術を覚えた。
この「パテ」が社会性?


この保留にしたことを覚えておく必要もある。

 

だから、書く。
書いておけば、じぶんが変わっていく過程を、文章に残せるからね。
でもわたしは、その「書く」をブログでやるようになってから、ブログ自体をヘーキで削除しちゃうようになって「記録」としての意味はなくなってる。


そんなことどうでもいい感覚がいまのわたしにはあるから、もしかしたらわたしのあたまは、「書くようになった以前」に退化してるのかもしれない。


この数日、わたしはぜんぜんブログを書かなかった。
こわれたから、っていう理由もあるけど。
さいごに更新した日の次の日にはなにも書かなくて、その一日は、なんとなくなんかいろいろ書きたいことがあって、わたしにとって「ブログを書かない日」は、ヘビースモーカーがとつぜん禁煙を決意したとき、みたいなかんじなのかも。


でも、書こうかな、書きたいな、なんか書きたい、あれも書きたい、書きたいこといろいろあるよ、っていう、じぶんを駆り立てるみたいな衝動はそれからすぐに鎮まった。
なにも考えたくない精神状態になってたから、なにも考えないでただだらだらピグをやり続けてたんだけど。
そのまま、もうブログは要らないなー、って思った。
そんな思考も半日もしないでどこかに溶けて消えちゃって、ブログのこと自体、考えなかった。
ウソみたいに、わたしはブログとツイッターのことをぜんぜん考えもしなくなってた。
まるで、そんなもの、さいしょからやってなかった人みたいに。


それなのに、読んでたスプートニクが、このすみれの「文書」の場面になっちゃったからねー。
あ、わたしにはやっぱり「書くこと」はだいじ。
なんて意識がよみがえっちゃった。


そんな意識よみがえらなければ、わたしは平穏にブログもツイッターも忘れた人生を歩んでいけたのに。
ネットはピグだけ、っていう極楽浄土きぶんでいれたのに。


なんかまた感情の修羅に引き戻されて、わたしはまたこわれながらここに何か書いて、それでなにか考えたつもりになって、なんの役にも立たない文字をひたすら並べる苦行を続ける。
すみれと違うのは、わたしにはミュウも「ぼく」もいない。
わたしひとり、じぶんのあたまの中の万華鏡をくるくる回して、そこに見える映像をじぶんの思考に変換する「言葉」をじぶんからぽろぽろこぼれさせていく。