ひまつぶしのーと

ヒマつぶしに書いてます

あたまの中が片づけれないオンナ

この本、読んだ。

 

片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術

片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術

 

 (※アマゾンのリンクはわたしのアフィリエイトではありません)

 

ウツがひどい状態がずっと続いてて、ひとり暮らしにもなったら、わたしも家の中がすごいことになったから。
それまでも、「片づけ」はぜんぜん得意なほうじゃなかった。
だけど、ウツになってから、「片づけれない」っていう状態がものすごい悪化した。


いろんな、お片づけ本が出てるけど、そーいうのをいろいろ見てもぜんぜんピンとこない内容だったから、この種の本を買ったのはこれがはじめて。
古本屋さんで、お掃除とか片づけとかのジャンルの本をまとめたコーナーが出来てて、そこでもほかの本も見たけどぜんぜんそそられなかった。
この本にそそられたのは、まず表紙のイラスト。
それから、中をぺらっとめくった時の、この作者の家の中の状態のイラスト。


こんなすごい「汚部屋」って、こういうお片づけ本で出てきたことない気がする。
「これのどこがちらかってるの?」っていう、ちゃんと床が見えるきれいな写真しか出てなかったり、片づけのやり方も「掃除を数日さぼってたけど、元々はそんなに汚く暮らしてません」的な人向けみたいな感じだから、ほんとに「片づけれない女」で悩んでる人にどれだけ役にたつのかなー、って思うのばっかだった。


わたしがじぶんに感じる「片づけれない」感覚は、だらしない、っていうだけじゃない。
めんどくさがりだから掃除もめんどくさい、っていうだけじゃない。
片づけたい気持ちはあって、片づけようとすることもあるんだけど、片づけてるのになんかものすごい散らかってってる、っていう「混乱」があるんだよね。


部屋も、いろいろ散らかしてるよねー、って意識してるときはぜんぜんマシな状態。
ほんとにそれはだらしなくて片づけてないだけだから、じぶんが散らかってることの自覚があるし、その原因もわかってる。


でも、去年からずっとウツを悪化させまくってきて、ほんとになにもできないぐらいにココロじゃなくてカラダが動かなくなってった頃、ふっとじぶんの家の中の「すごさ」に気づいたの。
なにこれーっっっっ。
っていうぐらい、わけわかんない状態に散らかってた。


毎日そこで暮らしてたのに、「なにこれーっっっっ」って思った瞬間までは、ぜんぜんなんかそんなに散らかし具合の異常性を感じてなかったんだよね。
散らかってるなー、とは思ってたけど、それ以上にじぶんの関心が部屋の散らかりには向かわなかった。


部屋の隅にいつのまに、物を積み上げた山があって。
その山を築いた記憶がない。
でも実際、たぶん、「ちょっとここに」っていう薄い意識でぽんぽんとそこに置いて、結果的にいつのまにか「山」になったんだと思う。


ベッドの下にいろいろ物が転がってるのに気づいた時は、ものすごいびっくりした。
なんで?って。
そんなとこに放り込むわけないし。
ベッドの下は掃除しやすいように、わたしは物を置かないようにしてたんだよね。


それなのに、なんかいろいろ散らばってたの。
どうしてそういうのがベッドの下にはいりこんだのか、ぜんぜんわかんない。
ほんとにわけわかんないから、「なんでー?」ってわたしは思っただけ。


そしたら、家中に「なんでー?」ってびっくりするとこに物が散らかってたりした。
そこにそんなもの、置いたつもりも放り投げた記憶もないのに、いつのまになにかが散らばってるの。
だれがやったのー、って、ホンキで思った。
わたししか住んでない家なのに。


わたしは水回りとかは汚くするのがすごいキライで、そういうとこだけはものすごいきれいにしてる。
トイレは毎日掃除しないと気持ちわるいし、洗面所に髪の毛が落ちてるのも気持ちわるいから掃除するし、お風呂場はお風呂入るたびに排水口のとこ、ブラシでごしごししてるし。
でも、ある日突然、お風呂のフタ(さいきんずっとシャワーだからバスタブつかってない)に、歯ブラシの空のパッケージが転がってて、それにもびっくりした。
(お風呂入る時も歯磨きするから、洗面所とは別にお風呂場用の歯ブラシが置いてあるの)
なんで歯ブラシ出した時に、これをこんなとこに放り投げてるの?って。
ゴミをちゃんとゴミ入れに捨ててないじぶんが信じれなかった。
それを何日もそのままにしてて、このゴミがぜんぜん視界に入ってない(意識してない)じぶんに呆れた。


じぶんの部屋は、いろんなこまごましたものをちゃんとしまえる棚がある。
でも、わたしはそこにちゃんと分類してしまえてない。
「分類」がわたしにはできない。
わかんなくなっちゃうの、なにをどれに分類すればいいのか。


ゴミの分別がわたしのあたまではできないのを知ったのは、ひとり暮らししてから。
それまでも家のゴミはわたしが捨てることが多かったのに、そんなに分別で悩んだ記憶はなくて。
でも、それは無意識に、
「これはどの日ー?」
って、わかんないゴミはお母さんに聞いて、それで言われるままに分別して、あとはそれを出せる日に出してたんだよね。


だけど、ひとり暮らしになったら、分別がわかんなくなっても聞ける家族がいない。
そしたら、どれぐらいじぶんは分別ができないあたまかって、ものすごいわかった。
それにびっくりした。
ほんとにびっくりするぐらい、わたしのあたまではわかんないの。


家にはちゃんと市町村から配られたゴミの日のカレンダーと分別表がある。
分別表は、それ見ればわかんない人がいるはずない、っていうぐらいに、ものすごいわかりやすい表になってる。
こまかいものもいろいろ具体的に、これはこの日、って書かれてるから、リサイクルゴミと不燃ゴミの区別はちゃんとつくようになってる。


それなのに、わたしは家のゴミを捨てる時、その表を見て、これはこれ、ってやってるうちに、あたまが混乱するの。
混乱しだすと、もうちゃんと考えれなくなって、なにをどう分別していいのか「かんぜんにわからない」状態に陥る。
分別するだけでものすごいあたまをつかうから、どんどんめんどくさくなる。


引っ越した家族がいろいろ置いてったものをわたしが片づける羽目になったんだけど、それがいつまでも終わらなかったのは、「めんどくさい」とか「疲れた」っていうだけじゃなくて、「分別に混乱して出来なくなった」っていうのがいちばんおおきな原因だった。


あと、なにを捨ててなにをとっとくか、っていう判別もわたしのあたまは出来なくなってった。
あの時、家を片づけれないじぶん、にものすごい気づいた。
なんども、ちゃんとコツコツ片づけていけば出来るはず、いままでここまでひどくしてなかったんだから出来てたはず、ってじぶんに言い聞かせたんだけど、片づけようとすると、物の判別がつかなくなって、なにをどこに片づければいいのかもわかんなくなって、そこにぼーっと座ってるだけ。


それから泣きたくなって、ほんとに泣いたこともある。
わたしには出来ない、って。
だれか助けて、って。


かんがえたら、わたしはぱそこんのフォルダとかもぐちゃぐちゃなんだよね。
ちゃんとフォルダを作って、それで分けていろいろ保存していくつもりでいるのに、保存するデータをどのフォルダにいれればいいのかわからなくなっていく。
だから「とりあえず」のフォルダを作っておく。
「一時」って名前つけるんだけど、そこにいれたくないけどこれはどこー、って保存したいデータがあると、「一時2」ってフォルダを作ってそこに入れておく。
この「一時(数字)」フォルダがわたしのぱそこんにはものすごい増殖してる。


画像も、じぶんで描いたイラストの保存なんてものすごいめちゃくちゃ。
辛うじてきれいに整理できたのが、ピグのキャプチャーだけ。
これは、
amep(フツーのピグ)
amew(ワールド)
amec(カフェ)
amel(ライフ)
って、画像の名前をこうやってわけてつけるやり方を思いついたから。
でもじぶんで描いたのは、こーいうふうに整理がぜんぜんできない。


ネットでものすごいわたしの「整理ができない」あたまがバレバレなのは、ブックマークだと思う。
わたし、「タグ」が整理してつけれないの。
分類が簡潔にできないの。
だから、いちおうタグつけるんだけど、すぐ混乱するから、1つの記事に何個もタグつけて、余計にタグの分類がわかんなくなって、あとからじぶんの保存した記事を探せなくなってる。


まっさらな時に分類を作れなくて、使っているうちにこーしよう、って思うことがよくある。
だからあとからいろいろ修正するのがものすごいタイヘン。
ブクログのタグも、もうじぶんでわかんなくなってる。


ブログも、カテゴリを作るけど、書いてるうちにこれはどれー?ってわかんなくなる時多い。
すぐにブログをいろいろ複数作る、っていうのも、けっきょくじぶんの思いつきの整理が出来てないんだと思う。


話が少しズレるかもしれないけど。
「整理して考えれない」あたまだから、ファミレスとか行くと、セットメニューをたのむのにいつもものすごい苦労してる。


「あ、これ食べたいー」って、メインの料理を選ぶでしょ。
それのセットを和風セットとかサラダセットとか、何種類から選ぶ、っていうとこで躓く。
このセットにしたいけど、これだとドリンクは別なんだー、ってなってると、ドリンクもつけるとどのセットにするのがいちばん安いの?って悩む。
わたしはだいたいいつも、少しでも安くしたい、って目的あるから。


それで、ちょっと高いかなー、って感じると、メイン料理を変更したりする。
そーすると、これだとこっちのセットが得?って、またちがう組み合わせが出来たりすると、かんぜんにわたしのあたまは混乱していく。
ウェイトレスさんが、こっちがボタン押してないのにオーダー聞きにくるぐらい時間がかかる。


だから、慌てて「こ、これで」って頼むと、だいたい組み合わせが失敗してて、ぜんぜん安くはなってなくて、あとで、
「あー、これとこれにすればよかったんだー」
って気づくパターンばっか。


AセットとBセットしかない、っていう食堂の方が好き。
っていうか、セットだとお得、っていうお店だとだいたいその「お得」なセットで悩むから、PAの食券で単品のお蕎麦を買うとか、そういう飲食店がいちばんじぶんに向いてる。


これ、って決めていっても、メニューとか店頭でいろいろほかの見ちゃうと、そこであたまが混乱して「別のもののほーがいーかなー」って思考が湧いて、あたまの中が落ち着きなくなって、どんどんわけわかんなくなっていく。


パッパッと決断できるあたまの人、うらやましい。
思考が整理できないから、わたしは「考える」=「混乱する」ってなっちゃうんだよね。


ゴミの話に戻すと。
(こーやって話をあちこち広げてばらばらに書いてるのも、整理ができてないせいなんだけど)
ただひたすらひとつの袋に捨てていく、っていうのなら、わたしもすぐ出来る。
でも、分別があるから、そこで混乱して、ゴミを捨てれなくなって、片づけるのもめんどくさくなって、なんか部屋の中がものすっごいことになる。


お隣のおばさんもいろいろ部屋をすごくしたり、ゴミをためてる人だけど、おばさんは「疲れてできない」とか「出しにいくのがめんどう」なんだって。
だから、疲れてなくてめんどくさくない時は、ちゃんと分別してきれいに出してる。


わたしはそれができないじぶんを、ひとり暮らししてはじめて知った。
長くなるから分けて書くねー。
(まだこの話は続くのです)

 


 

20150608追記:

 

この記事のつづきはこれ。

mika3kan.hatenadiary.jp