"その値段"の感覚
この本、読んでみたいな。
ラジオであるイベントの話をしていた。
いろんなアーティストが参加する大きなイベントで、そのチケットは15000円ぐらいから28000円ぐらいの設定。
このチケットの販売案内をしてたナビゲーターは、高額だけどぜったいそれを出す価値はある、って言ってた。
考えようによったら、この金額でこれだけのアーティストをいっぺんに見れるのはお得かも、とも。
その一方で、それに参加するあるアーティストは、宣伝をかねたじぶんたちの参加話を番組内でしたあと、このチケット販売の案内のところで、この金額を「安い」と言った。
ナビゲーターが金額を口にすると、それにかぶせるように「安いっ」って言ってたんだよね。一度だけでなく。
それは良く解釈すれば、ナビゲーターが先に言ったように、この金額であれだけの参加アーティストを見れるのは「お得だよ」って意味だと思うんだけど。
でも、なんとなくその番組をだらだら聞いてたわたしは、
「安いっ」って一言軽い口調でかぶせる言い方に、なんか反感が湧いた。
フツーの人が15000円から30000円近いお金を稼ぐのにどれだけタイヘンだと思ってるの、って。
一般的な労働者なら日給すらならない、って人多いと思う。
コンビニの深夜勤だって2日分以上。
ディズニーランドのパスポートでも、「高い」って感じる人は多いよね。
入場しちゃえばめいっぱい楽しめる場所だけど、5000円以上するチケットは気軽に出せるわけではなくて「特別」な価格に感じる人もいると思う。
楽しみたいから、スペシャルな価格のチケットを買って、スペシャルなきぶんで行く。
その「スペシャル」感が、娯楽のきぶんを高揚させたりするし。
それを軽い口調で「安いっ」って言われると。
それもそのイベントで来場するお客からお金をもらう側が言ったりすると、「そのお金を一生懸命につくって行くファン」を想像はできないのかな、なんてこと感じた。
物はいいよう、ってことでもあるし。
「お金」に対する感覚の違いなんだとも思うし。
「ほかのイベントに比べるとちょっと高いけど、そのぶん、めいっぱい楽しめるよ。損はしないよ」
って言うのと、
「安い」
ってただ言うのと。
30000円近いお金を出す側にとって、その30000円をどうやって作ったか、その「思い」に対する主催側の扱いの差を感じてしまいそう、ってわたしは思って聞いてた。
ある金額(庶民にとってはけっして安くはない)を出す人に気持ちよく出させる、そんな感覚についてなんかモヤモヤして考えちゃった発言だった。
(あくまでも、わたしの受け取り方、の話ねー。人によってどんな解釈で聞いたか、それもいろいろ知ってみたいよねー)